最後の女神




妹といとこと初詣

 長谷川君が家に来なくなって、ほんの少しだけ夕食の光景が変わった。細身なのによく食べる彼のことを、「若いっていいわね」なんて言っていた母も、食卓が少し寂しくなったと感じているみたいだ。
 わたしの方も、仕事で少しずついろいろなことをまかされるようになっていて、ようやく面白さを感じ始めているところだった。
 講師じゃないけれど、通ってきた生徒の成績が上がっていって、笑顔で予備校を去るのがとても嬉しい。もちろん、全員が全員上手くいくわけじゃなくて中には、もう一年通うことになってしまう生徒もいるけれど。

 長谷川君が来なくなった翌年の正月。毎年の恒例行事で、集まってだらだらしているところに結が配達された年賀状を持ってきた。直哉は用があるとかで年末から出かけていて、うちの家族と伯父さん、伯母さんだけが集まっている。
 テーブルの上に並んでいた料理を一度下げて、結はそこに年賀状を広げていった。桑原家とは共通する親戚も多いから、
「あらあら、うちにもきっとこの年賀状来ているわね。恵子ちゃんたら大きくなって」
 なんて、写真入りの年賀状を眺めてはめったに会えない親戚の子の成長を確認している。
「見て、長谷川先生からも来てる」
 結が年賀状を差し出した。
「律儀ねえ」
 そう言って母は素直に感心する。
 わたしは最後に会った時の長谷川君の顔を思い出していた。わたしのこと、興味があるって言ってたっけ。
 社会人になって、彼女とかできたのかな。きっと、可愛い彼女ができたんだろうな。年下の方が可能性高そう。
 そんな風に考えていたら、携帯が震えた。

「何ー?」
「メール」
 妹がソファ越しに携帯をわたしてくれる。そこには、直哉からのメールがあった。
「茗田駅、午後二時」
 新年早々、呼び出さなくても。何だか腹が立ってきた。

「行けない」と、だけ返信すると「なぜ?」とこれまた短文のメールが返ってくる。理由をえんえんと説明するのも面倒だったから、「生理中」と送ってやった。
 終わったばかりだったけど。どうせ目的は一つなんだから、こう言っておけば彼も諦めるでしょう。
 たぶん、いつもだったら呼び出されるままにずるずると出かけていた。
 そうならなかったのは、たぶん長谷川君の年賀状を見た後だったから。
 わたしに「興味がある」と長谷川君は言ってくれた。そこに恋愛感情なんてなくて、家庭教師をしていた生徒の姉がどんな人なんだろうって本当にただの好奇心でしかなかったのだろうけれど。

 だけど、何だかそういう風に好奇心を持ってもらうっていうのはめったにないことで。そんな風に思ってもらえたわたしを汚しちゃいけないような気がしたんだ。
 親に隠れて、いとこと人に言えないような行為をしているわたしは十分汚れて、汚いんだけど今日くらいは忘れていたかった。
「いいから出て来い」
「何だろうなー。結、一緒に出る?」
 面倒になって結を呼んだ。
「どうしたの?」
「直哉兄さんが出て来いって。家でだらだらしている方がいいのになあ」
「何で、直哉兄さんが?」
 結は少し混乱しているみたいだった。そうだよね、わたしが直哉と関係を持っているなんて結が知るはずないし、ずいぶん年上のいとこに正月早々呼び出される理由なんて想像もつかないはず。

「初詣に連れて行ってくれるとか?」
 口から出まかせを言ってみる。茗田駅には、駅からそれほど離れていないところにそこそこ有名な神社があるのだ。初詣客でこの日はとんでもなく混み合っているだろうけれど。
 案の定、結は嫌な顔をした。
「カラオケなら行ってもいいけどー」
 カラオケボックスって、正月から営業しているんだっけ? 結には悪いけれど、この際巻き込むことにした。結を連れて行けば、直哉だって余計なことは言えないだろう。

「あらいいじゃない。行って来たら? わたしたちも行く?」
「あの子、昨日彼女と会うって出かけて行ったと思うんだけど……ふられたのかしら」
 さらりと伯母さんがとんでもないことを口にした。
 あ、やっぱり彼女いたんだ。そのことに痛みも何も感じない自分は――どこかおかしいのかもしれない。何事もなかったように、わたしはリビングに転がっていたショルダーバッグを手に取って中身を確認する。
 財布、携帯、ハンカチは一度部屋に戻らないとないな。やっぱり一度部屋に戻ってもう少し小さな鞄と取り替えてこよう。

「彼女を送ってこの時間になっちゃって暇だからとか?」
「……だからっていとこを呼ばなくてもねぇ。あなたたちだって迷惑でしょ?」
 カラオケなら行く、と言っていたわりに一度出る気になった結はさっさと出かけたいみたいだった。わたしと叔母さんが話している間に、さっさと部屋から自分の荷物を取ってきている。
「別に迷惑ってほどじゃないよね」
 結がそう言うから、わたしも同調しておいた。

 茗田駅に着いた時、わたしが一人じゃないことに気が付いた直哉は驚いたようだった。
「どこ連れて行ってくれるの? カラオケ? 初詣?」
 けれど、結がわたしよりも先に直哉にまとわりつくみたいにしながら言うから、余計なことは言わない方がいい、と思ったみたいだ。
「初詣……行くか」
 そう言って、先に彼は歩き始める。彼に並ぶようにして結が歩いていて、わたしはその数歩後ろを歩いていた。わたしたち三人はどう見えるんだろう。さすがに親子には見えない――いや、結と直哉は十五歳離れているから、親子に見えなくもないか。側に結と似た顔をしたわたしがいなかったら。

 少し歩いたところにある神社には出店もたくさん出ていて、人がずらっと並んでいる。
「俺、却下」
 中には着物を着た人もいてとても晴れやかな雰囲気だったのに、入口のところから中を覗き込んだだけで直哉は初詣は諦めたみたいだった。
「えー、せっかくここまで来たんだし並ぼうよ」
 結は直哉を引っ張って奥の方に入っていく。彼女の積極さが羨ましかった。直哉に親戚以上の感情を持っていないからこその無邪気な積極性だってことくらいわかっている。
 どうして、この人を好きになってしまったんだろう。何年もの間、何度も繰り返してきた問いなのに答えはまだ見いだせない。きっと一生見いだせないんだろう。

 わたしは直哉が好きだし、直哉は他の女性が好き。それだけならよくある話だけれど、わたしと直哉の間には血のつながりがある人たちがたくさんいるわけで、簡単に「告白して玉砕」なんてわけにもいかないのだ。
 気持ちを知られていても、踏み出すわけにはいかない。わたしと直哉の関係がぎくしゃくしてしまったら、家族にだって影響を及ぼすことになる。
 直哉も十分それを承知していて、わたしの気持ちを知っているからこその関係だ。

 結局直哉は結の押しに負けて、初詣の列に並ばなければならなくなってしまった。
「ほら、カイロ使う?」
「さんきゅ」
 初詣を予期していた結は、鞄からカイロを取り出して直哉に渡している。それを受け取った直哉は、ちょっと後ろにいたわたしの方に視線を向けた。
「わたしは持ってるから」
 家を出る時に結に持たされたカイロを取り出して見せる。それで安心したらしく、直哉は結と並んで前に向き直った。
 こうやって後ろから眺めるんじゃなくて結みたいに堂々と隣にいられる関係だったらよかったのに。
 いとこなら、他の人と結婚したってつながりを断ち切ることはできない。兄弟ほど強いつながりじゃないのは当然だけど、冠婚葬祭で顔を合わせる機会は多かったはず。
 結局初詣の後カラオケにも付き合わされて、帰宅した後はすっかり出来上がった両親たちに彼女はどうしたのだと追及される直哉の姿は少し気の毒だと思わずにはいられなかった。


前へ 次へ


嫉妬する十年、恋する永遠へ