最後の女神




……初めての

 わたしがいつから直哉を好きだったのか、なんて思い出すこともできない。
 物心ついた頃には、もう隣の家に住んでいた――というのは正確ではない。彼が生まれる前から、両家の両親は隣同士で住んでいたのだから。
 ただの隣人ではない。彼の父はわたしの父の兄。つまり、わたしたちはいとこ同士になる。ついでに彼の母親は、わたしの母が働いていた頃の会社の先輩だ。新人として入った母をずいぶん可愛がってくれたらしい。
 そんなわけで両親ともども隣の家とはとても密接な付き合いをしていて、「直哉兄さん」とわたしと妹は彼のことを呼ぶ。
 直哉はわたしも結も可愛がってくれたと思う。普通なら、十歳以上も下のいとこたちなんて面倒な相手でしかないだろうに。

 けれど、彼はいつだって嫌がらずにわたしたちの相手をしてくれて、わたしも結も彼にしょっちゅうまとわりついていた。
 それこそ兄弟みたいに仲良くしていたと思う。一人っ子の彼は、わたしたちを妹みたいに可愛がってくれた。
 それが変化したのは、わたしが十八――高校三年生だった――頃だった。
 その日、わたしの家も隣の家も誰もいなかったのは、偶然だったのだろう。家族そろって出かけるなんてことは極端に減っていて、それぞれに好きなように過ごしていた。
 わたしは学校の図書室で勉強してきた後だったと思う。休みの日なのに、制服を着ていたから。結も両親もそれぞれ自分の予定で留守にしていた。
 出かけて戻ってきたわたしと、直哉は家の前で鉢合わせした。彼が大学に行っていた頃はしょっちゅう待ち合わせていたけれど、ずいぶん久しぶりだった。

 直哉は玄関の鍵を開けようとしているわたしを見ると手招きした。
「静。うち来るか? 今誰もいないけど」
「いいの?」
「母さんが買ってきたケーキがある」
「やった!」
 誘いにやすやすと乗ったのは、直哉と二人でいる時間が欲しかったから。彼がわたしに個人的な興味ないことなんてわかってた。

 当時二十八歳だった直哉はたぶんものすごくもてていた。しょっちゅう彼女が変わって腰が落ち着かないって伯母さんが嘆いているのを聞いたことがあるし。
 そんな人が中も年下の高校生を本気で相手にするはずない。

 何度も訪れたリビング。どこに何があるのか知っている。落ち着き払った様子でソファに腰掛けたけれど、心臓がとまりそうだった。二人きりで過ごすことなんて、滅多になかった。
 フローリングはわたしの家より一段明るい色。青いソファ、テーブル、テレビはわたしの家より一回り小さい。
「コーヒー? 紅茶?」
「コーヒーがいいかな」
 わたしがそう言うと、彼は慣れた手つきでコーヒーをいれてくれる。すぐにリビングにコーヒーの香りが立ちこめ始めてきた。

「……ここのケーキ、好き」
「だろ?」
 用意されていたのは、駅ビルの中に入っている洋菓子店のケーキだった。わたしはここのケーキが大好きで、毎年誕生日にはこの店のホールケーキを予約しているくらいだ。
 わたしと直哉はリビングのソファに向かい合って座る。そうして、黙々とケーキを食べた。
 意外に、二人きりになると時間を持て余してしまう。話すこともなくて、リビングは静かだった。

「ごちそうさまでした。お皿、洗おうか?」
「いや、置いてくれればいい」
 二人分の食べ終えた食器を重ねて、キッチンに返す。二人きり、という状態は落ち着かなくて、食器を流しに置く手が震えた。
 食べ終えてしまうと、することもなくなってしまった。
 家に帰って予習でもしようか。月曜日の英語の予習がまだだ。お父さんとお母さんが戻ってくるまで、まだ時間があるし。

「じゃあ、帰――」
 そう言いかけた時、直哉がソファの隣の席に移動してきた。密着するくらいの位置に座られて、彼の体温が身近に感じられた。
「直哉に……」
 最後まで呼びかけることさえできなかった。出かけた言葉は、唇で塞がれて、息苦しさに支配される。
「……あっ」
 言いたいことがたくさんあったはずなのに、出てこなかった。一度触れた唇が、横に滑って、頬に触れる。
 その次の瞬間には、もう一度キスされて何も考えられなくなる。

 軽く押されただけで、ソファに横になってしまった。彼の手が胸をくるくるとなぞる。
「んあっ……!」
 驚いて変な声が出てしまった。恥ずかしい、という感覚があっという間に快楽に塗り替えられる。
 制服のボタンが一つずつ外されていって、下着が露わにされる。こんなことになるってわかっていたら、もっと可愛がいのを着ておいたのに。
 彼女がいるっていう話は、玲子伯母さんから聞いていたけれど、それを思い出す余裕なんてなかった。

「う……んぅ……」
 ぎゅっと胸の頂が硬くなる。そこを指先で転がされてつま先がきゅっと丸まった。
 気持ちいい。お腹の奥が熱くなって、どうしようもなくなる。身体がくねくねして、背中がそる。
 いつの間にかスカートも取り払われて、足を開かされていた。濡れた下着の上からその場所を押されて、また甘い声が上がる。
「なお……や……」
 彼の名を呼ぶと、最後の一枚もおろされる。
「いた……い……!」
 せわしなく指が中に入れられた。自分でも指を入れたことのない場所は、指一本を受け入れるのさえ難しい。
 けれど、それもすぐに慣らされて、彼自身を受け入れた時には痛みを感じる余裕もなかった。それに続く行為はあっという間に終わって、気がついた時には自分で服を身につけようとしていた。何も言わないまま、荷物を抱えて彼の家を去る。

 冷静に考えなくても、二十八の男が十八の高校生に手を出すなんてろくなもんじゃない。
 彼がわたしに本気だなんて思ってなかったし、その次がある、なんて思ってもいなかった。
 当時付き合っていた相手もいなかったし、初めての相手は直哉がいい……とは思っていたから、思いがけない事態に驚いてはいたけれど受け入れてはいた。

 けれど、直哉との間にあったことを家族の誰かに話すなんて考えられなかった。それがどうしてなのかはわからなかったけれど――たぶん、家族の間のタブーを犯しているような気になったから、だと思う。
 一度きりのこと、だと言葉にはしなくても確信していたというのもあったかもしれない。その予想はすぐに裏切られたけれど。

◆ ◆ ◆

 逃げ出すように隣家を出てから数日後。
「今、帰りか?」
 学校からの帰り道、駅前でわたしを呼び止めたのは直哉だった。
「うん。直哉……兄さんは、今日仕事は?」
 あの日のことがあってから、わたしは俯きがちに返事をする。
「歯医者に行くんで午後半休。ちょうど出てきたところだ」
 直哉は、駅ビルの方をさした。そこの七階には、歯医者がある。わたしの家族も彼の家族も皆そこに通っていたから、彼も同じところに通っているのを知っていた。

「……そう」
 それ以上、言葉が続かない。つい先日のことが思い出されて身体の奥が疼いた。彼に与えられた初めての快楽。指に操られて、踊らされて、何も考えられなくなるくらい何度も高みに追い上げられて。
「車で来てる。乗ってくか?」
 駅ビルにも駐車場はあるけれど、たいてい満車だ。
 少し離れたところの駐車場にいつも車を停める……らしい。わたしは駅まで出る時はバスか自転車が多かったから、そんなことは知らなかったけれど。

 今日彼が乗ってきていたのは、家族の車だった。言われるままにわたしは助手席に乗る。
「今度の土曜日。十五時」
 車を降りようとするわたしに彼は言った。
「駅の南口で待ってろ」
 わたしは行く、とも行かない、とも返事をすることもできなかった。けれど、直哉はわたしがどうするかよくわかっているみたいだった。
「あれ、直哉兄さんの車に乗ってきたの?」
「駅前で会ったから乗せてもらった」
 いとこ同士ってこういう時は気楽。たまたま乗せてもらったというだけで言い訳になるんだから。


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嫉妬する十年、恋する永遠へ