最後の女神




気づいてないのは一人だけ

 ファーレス騎士団には、ひときわ目を惹く騎士が所属している。夜の闇のような、とたとえられる黒い髪。星を浮かべたように煌めく黒い瞳。冷たいほどに整った美貌とは裏腹に物腰は柔らかだ――仲間の騎士たち以外には。
 周囲の騎士たちより頭半分背が高く、騎士団内で一、二を争う剣の腕の持ち主であり、仲間にはむしろぶっきらぼうに接することが多い。ファーレス騎士団、副団長エドワード・ウィルクス。通称エディである。

「エディ様! この間のケーキ、どうでした?」
 癖のない黒髪を無造作に首の後ろで束ね、勢いよく歩くエディを呼び止めたのは、近所のケーキ屋の娘だった。将来は家業を継いでケーキ屋をやりたいと、毎日修行に勤しんでいる。
「おいしくいただいたよ、マーガレット。ウィルにも分けてやったら、おいしいと誉めていた」
「まあっ!」
 マーガレットと呼ばれた少女は、頬を紅潮させて友人たちと視線をかわす。
「ウィルはなんて言ってた?」
「なぁんにも。感想聞かせてくれたら、エディ様におたずねしたりしません」
 彼女の肩をぽんと叩いて、エディはきょろきょろと視線を巡らせた。エディを見つめている少女達の向こう側に探し人を見つけて、呼びかける。

「リリー、この間のデートはどうだった?」
 エディに呼びかけられたリリーは、返事のかわりに不満そうに唇を尖らせた。
「最低よ、お菓子屋さんばっかり回らされたの。女には甘い物でもあてがっておけばいいと思っているんじゃないかしらね」
 リリーはどちらかと言えば、細身で華奢な少女だ。ほっそりとした頬を背一杯膨らませている様子は愛らしい。
「やれやれ、困ったものだね。女心がわからないというのは」
 エディは首を左右に振る。そうしながらも視線を忙しく走らせて、さらに別の少女に声をかけた。

「ジョージーナ、どうした?」
「……手紙をもらったんだけど、誤字脱字だらけよ。最悪だわ。字が汚いのはまだ許してあげてもいいんだけど」
 そう言ったのは、生真面目そうな雰囲気の娘だった。手に本を二冊抱えていることからして、読書が趣味なのかもしれない。
「……それは最悪だな」
 形のいい眉を寄せて、エディはつぶやいた。それからジョージーナの肩に手をかけて甘い声でささやく。
「わたしから言っておいてやろう。その間抜けな手紙の差出人は誰かな?」
 名前を聞いたエディの肩が落ちた。
「すまないね、あいつは馬鹿だ。君の方でよければもう一度チャンスをもらえないか」
 ジョージーナが頷くのを見て、エディは少女たちに別れを告げると再び勢いよく歩き始めた。

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「ウィル! おい、ウィルはどこにいる?」
 近くの貴族の家へと使いに出され、その帰りに少女たちの相手をしてから王宮に戻ったエディは、真っ先にウィルを呼び出した。
「おまえ、まだマーガレットにケーキの礼を言ってなかっただろう」
「あ……」
「あ、じゃない! 角の本屋に彼女が欲しがっていた隣国のレシピ本が入ったそうだ。夕食前に買いに行ってこい。それを彼女に渡して、ケーキの礼だと言うんだ。ちゃんと誉めるんだぞ? ついでにレシピ本の中から何かリクエストしてこい」
「お、おう……」
「マーガレットがケーキを食べさせたかったのは、わたしじゃなくてお前だろう。お前に直接渡せないから、わざわざわたしを経由したんだぞ。きちんと礼を言え」
「そ、そうだな」
 叱られてしゅんとしていたウィルは、気を取り直して立ち去る。彼の行き先は、むろん角の本屋だ。

「リオネル!」
 エディは容赦しなかった。次にもう一人の騎士団員を呼びつける。
「リリーをスイーツの食べ歩きに連れ回したそうだな?」
「食べるのが好きだって言ってたから」
「この、大馬鹿者!」
 エディの雷が落ちる。思わずリオネルは首を縮めた。
「彼女は甘い物はあまり好きじゃないんだ。連れて行くなら、肉が美味い店にしろ。言っておくが――」
 リオネルの目の前で、警告するかのようにエディは指を振る。
「彼女はものすごいグルメかつ健康な胃の持ち主だ。あの細い身体で三人前は食べる。まあ、お前の前なら多少遠慮するかもしれんが、財布の中身は十分に持って行け」
「……つ、次の給料日後に!」
 リオネルは思わず背筋を伸ばした。

 不機嫌なエディの機嫌はまだ直らない。
「ブライはどうした?」
「……そこに」
「――ブライ、貴様そこに正座ー!」
 何も知らずに通りがかったブライは思わずその場に正座する。ちなみにここは中庭で、下は石がごつごつしていたりする。
「ブライ、なぜ呼び止められたかわかっているか?」
 ぶんぶんと、勢いよくブライは首を左右に振った。

「ジョージーナに恋文を出したそうだな」
「な、なぜそれをー!」
 両足を大きく開いてブライの前に立ったエディは、両手を腰にあて、じろりとブライを見下ろした。
「……恋文の推敲ぐらいきちんとしろ、この大馬鹿者が! 字が下手なら丁寧に書くことを心がけろ!」
「う……」
「……彼女の好きそうなポエムをいくつか教えてやる。雑貨屋で綺麗なカードを買ってこい」
「今すぐに!」
 行ってこい、と言われてブライは立ち上がった。

「お前はいいよなー、女心がわかるから」
 騎士団員の一人がむくれた声を出した。振り向いたエディは、首を傾げて言い放つ。
「本気で好きだというのなら、相手の好みを知るくらいのことはして当然だろう。努力を怠るから、彼女たちがわたしに愚痴をこぼすんだ」
 男ばっかりの騎士団員たちは、近所に住んでいる女性たちとの間に「お付き合い」があったり、「いい感じ」だったりする。
 あいにくと気の利かない連中ばかりなので、以前はせっかくうまく行きかけてもふられてしまうことも多かった。成功率が格段に高くなったのは、エディが仲介役を買って出るようになったからだ。

「一人くらい回してくれてもいいだろう」
 愉快そうな顔をして、その光景を眺めていた騎士団長オーウェン・ラトゥールは、エディに声をかけた。エディの眉が寄る。
「お前に回すくらいなら、もっと誠実な男を見つけてやる」
「ひでぇ。それより、飲みに行こうぜ?」
「お前の奢りならな」
 やれやれ。じゃれ合いながら奥に入っていく二人を見て、騎士団員たちは顔を見合わせる。
 だませていると思っているのは、「エディ」だけだ。少々身長が高すぎるが、整った美貌、柔らかな微笑み。上から布をどれだけ巻いて押さえつけても、「厚い胸板」と言い張るには少々大きすぎる胸囲。

 ファーレス騎士団、副団長エドワード・ウィルクス。本名、エドナ・ウィルクス――伯爵家令嬢だ。病弱な兄のかわりにやってきた彼女は、最初から男性で通すつもりだったらしいけれど。
「あれでだませているつもりなのかねぇ」
「本人がそう思っているのなら、そっとしておいてやろうぜ」
 みんな知っている。「彼」が「彼女」であることを。
 仲間として認めているから、失いたくないから、だから皆気づいていないふりをする。
 少女たちも「彼」が「彼女」であることを知っている。だから女同士の愚痴をこぼすのだ――エディだけには。
 それにしても、と騎士団員たちはため息をついた。騎士団長も報われない。あれだけ一生懸命追いかけているのに、他人のことはよく見えていても、エディは自分に寄せられる好意には無頓着らしい。

「なあ、お前。どっちに賭ける?」
「エディが落ちるか、落ちないか、か?」
「そうだ」
 そう言いながらも、賭を持ち出した男は首を傾げた。
「落ちない……よ、な?」
「落ちないな」
「うん、落ちない」
「落ちない方に一票」
 まあいいか、と彼らは笑う。エディが嘘をついていようと、彼らの仲間であることに間違いはないのだから。


 結局、賭はエディが落ちる方に賭ける者がいなかったため、成立しなかったというのは非常にわかりやすいオチである。


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