最後の女神




二人でいる時が

 ローザニア国王レーナルトは無趣味な男だった。昼間の大半は執務に追われているし、それが夜中まで続くことも多い。
 嗜みであるから剣を手に体を動かすことも、乗馬も一通りはこなす。しかし、それが趣味かと言われればまた違う気がする。
 現在ローザニア王宮にて、彼の最大の趣味と噂されるのは彼の愛妻――王妃リティシアであった。

「今日のお茶はいかがですか?」
「いつもの通り――おいしいよ」
「よかったです」
 午後、政務の合間に一時間だけレーナルトは休憩をとることにしている。その時には他の予定が入っていない限りリティシアが同席するのが決まりだった。
 場所は決まって執務室の隣の小さな部屋。そこに茶道具一式が用意されている。
「あなたのお茶は、久しぶりだからね」
 レーナルトは笑う。

「……三日前にご一緒したではありませんか」
 ティーポットを取り上げて、レーナルトのカップにもう一度お茶を注ぎながらリティシアも笑顔を返した。
 昨日、一昨日とリティシアは貴族の屋敷で開かれた茶会に出かけていて王宮を留守にしていたのだ。
「十分久しぶりではないか」
 レーナルトは長椅子に並んで座っているリティシアの肩を引き寄せる。肩を抱いていない方の手で、彼女の顎を持ち上げると軽く唇を触れ合わせた。

 数回落とされた口づけがだんだんと熱っぽいものへと変化していく。舌を差し込まれ、リティシアは甘い声をあげてそれに応じた。
 その声に気をよくしたレーナルトはリティシアの顎から首筋へと指を滑らせる。鎖骨を撫でられて、リティシアの身体から力が抜けた。
 そのまま口づけを続けながらリティシアをソファへと押し倒し、レーナルトはリティシアの胸に手をかけた。
 重ねていた唇がようやくここで離される。

「……あのっ……政務の途中ではありませんかっ」
 ようやく口づけから解放されて、リティシアは彼の腕から逃れようとじたばたと身を捩った。
「それはわかっているけれどね」
 リティシアを押し倒したまま、愛おしそうにレーナルトはリティシアの額にキスをした。
「……でしたら、起こしてください」
「まだだめだ」
 身を起こそうとするリティシアを押さえ込んで、レーナルトはもう一度キスを落とす。そしてようやくリティシアを解放した。

「……困ります」
 リティシアはレーナルトから離れて乱れた服を一生懸命なおそうとしている。乱れた髪をもとのように戻してやりながら、レーナルトはリティシアの髪に口づけた。
「……楽しそうですね、陛下」
 少々むくれた顔でリティシアは立ち上がった。
「あなたと一緒にいるのが一番楽しいのだから、それは間違いないね」
「そろそろ政務にお戻りになってください」
「そうしよう。今夜の夕食は一緒にとることができそうだね」

 レーナルトは部屋を出ていこうとするリティシアの腕をとった。
 リティシアの身体に腕を回して抱きしめる。頬に顔を寄せると、リティシアが好んで使う甘い花の香油の香りが彼の鼻をくすぐる。
「――愛しているよ」
 リティシアは、彼の腕の中でくすくすと笑うと
「わたくしもです……」
 最後に彼女の方から一度だけ唇を重ねて、リティシアは部屋を出ていった。

 レーナルトを残して部屋を出たリティシアは、側の部屋に控えていたゲルダを呼ぶと、庭園へと出た。
「薔薇が咲き始めているわね」
 リティシアは肩越しにゲルダに言う。
 リティシアがマイスナート城から、この王宮へと戻って数ヶ月が経過していた。季節は初夏へと変わろうとしている。
「お部屋にお持ちになりますか?」
 ゲルダの言葉に、リティシアは少し考えてそれから
「いいわ。咲いたばかりだもの――」
 とこたえると、空をあおいだ。

「部屋に戻って招待状の返事を書いたら読書をするわ。それから夕食の前に着替えを」
「かしこまりました」
 ゲルダはリティシアにほっとしたような視線をむける。戻ってきてからのリティシアは、以前と違って幸せそうだった。
 嫁いできてからのことを思えば、彼女が幸せでいることは侍女たちにとっても嬉しいことだ――ローザニア宮中における彼女の立場は強固なものとはまだ言えないけれど。

 部屋に戻ったリティシアは、届いている招待状に一つ一つ目を通した。出席するものと欠席するものにわけて、リーザに返事を書くようにと言い渡す。
 それを終えると、城の図書室から持ち出してきた本を手に、リティシアは窓辺の椅子へと腰を下ろした。
 夫は無趣味な男と言われているが、リティシアの方も似たようなものだ。

 刺繍は得意ではないし、ダンスも上手いとはいえない。身体を動かさなければならないから、乗馬もするが好きか嫌いかと問われればこたえようもない。
 本を読むのは好むところだが、教養を深めるための本を選ぶことが大半で、娯楽として楽しむことはほとんどないと言ってもいい。
 今手にしているのは、珍しく宮中で流行中の恋物語だった皇太子に見初められた侍女が身分違いの恋に悩むという物語で、ようやく二人の心がつながり合い始めたところで続きを待つということになっている。

「わたしも人のことを言えないわね」
 リュシカがいれてくれたお茶を口にして、リティシアは一人苦笑する。
 流行中の恋物語もリティシアにはさほど面白いとは思えなかった。
 何をしている時が一番楽しいかと問われれば迷わず答えるだろう。レーナルトと一緒にいる時だ、と。

 特別なことをしなくても、側に寄り添っているだけで楽しい。
 彼の腕に包まれて過ごす時間が一番幸せだ――と言ったら彼はどんな顔をするだろう。
 薄い緑のドレスに着替えたリティシアは、レーナルトの居間へとむかった。

「今日の午後は予定なかったよね? 何をして過ごしていたのかな」
 小さなテーブルを挟んで、二人は穏やかに夕食をとっていた。
「お茶会や晩餐会の招待状にお返事をして――後はずっと本を読んでいました」
「どんな本を?」
「恋物語です。なかなか話が進まなくて、じれったくなってしまいました」
 最終的に二人は幸せになるだろうけれど。

「何をしている時より、こうして二人で過ごす時間が一番楽しいような気がします‥‥」
 リティシアがそう話を締めくくると、レーナルトは、中腰になってテーブル越しにリティシアにキスをした。
「……もうっ……お食事中ですよ?」
 頬をそめたリティシアは、小さく唇を尖らせた。レーナルトは尖らせたリティシアの唇に自分の指をあてる。

「もっと楽しいことをしようか?」
 イタズラめいた笑みを浮かべて、レーナルトはリティシアの唇に沿って指を動かした。
「……せめて食事を終えてからにしてください」
 リティシアは困ったような表情になって、レーナルトの指をそっと押しやった。

「そうだね、食事が終わってからだ」
 レーナルトに見つめられて、リティシアはうつむいて食事を口に運ぶ。
 嫁いできた頃から彼は優しかったけれど、こうして愛情をこめた眼差しで見つめられるのはまだ慣れない。
「リティシア」
 レーナルトが手をのばして、リティシアの頬を撫でる。
「食後のお茶はどうしますか?」
「いただくよ、もちろん」

「昨日、珍しい茶葉をいただきましたの。今夜はそれをいれますね」
 リティシアの言葉にレーナルトはうなずく。
「それを飲んだら――」
 テーブル越しにささやかれた言葉に、またリティシアの顔が赤くなった。

 やはり、幸せなのだ。彼とともにいる時が一番。
 ローザニアの夜は静かに更けていく。


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