もとめていたもの
明け方近く、夫婦の寝室にはリティシアの小さな喘ぎが響いている。
「……もう、だめです……」
夫の腕に手をかけてリティシアは訴える。
「あなたは体力がないな」
リティシアの上でゆるやかに腰を動かしていたレーナルトは笑った。
「……何度目だと……思って……あっ」
彼の動きに従って、リティシアの声が高くなる。
視察から戻った日はいつもこうだ。朝まで何度ももとめられる。
くったりとしたリティシアを抱きしめて、レーナルトは頬に口づける。
「わたしはそろそろ行かなければならないな」
途中うとうとしていた以外は、朝までリティシアを苛んでいたとは思えない機嫌の良さでレーナルトはベッドを出る。
リティシアの額にかかった髪を払いのけて、レーナルトは今夜の夕食は一緒に、と言い残して出かけて行った。
リティシアの湯浴みを手伝おうとしていた侍女たちは思わず絶句した。
さすがに外から見えるところにはついていないものの、至る所に赤い色が散らばっている。
最近の王は度をこしているようだ――。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
リティシアの体調を気遣うゲルダに彼女は笑顔を見せる。
「それにしても……」
「数日したら落ち着くから」
リティシアは侍女たちに微笑んで見せた。実際、数日すれば落ち着くのだ。ほぼ毎晩肌を重ねているとはいえ、リティシアが壊れるのではないかと思うほど、無茶な抱き方をするのは数日の間だけでそれ以外の期間はそれはもう丁寧に扱ってくれる。
リティシアにはわかっている。離れていた間を埋め合わせようとしているのだと。
それが数日ですむならば問題ない、とリティシアは思っている。肌の至る所に赤い跡をつけられるのは、困ったものだと思うけれど。
その夜、レーナルトは居間に入ったとき軽いめまいのようなものを覚えていた。
「どうなさいました?」
先に居間に入っていたリティシアは立ち上がった。傍らのテーブルには夕食の用意が調えられている。
夫婦は二人きりで夕食を取るのを好み、すべての料理はテーブルとその側におかれたワゴンに用意されている。
「いや、何でもない」
レーナルトはごまかそうとする。
すっと近づいてきたリティシアは、レーナルトの額に手をあてた。
「お熱があるじゃないですか。お食事は召し上がれそうですか?」
言われてレーナルトは初めて気づく。あまり食欲がないことも、頭痛がしていることも。
「困りましたね。すぐにお医者様をお呼びして、診察してもらいましょう」
リティシアは慌てて侍医を読んだ。
診断の結果は、過労だった。
「無理、なさるからですよ」
ベッドに押し込まれたレーナルトにつきそって、リティシアは心配そうな顔になった。
「明日になれば、熱もさがりますからゆっくりお休みくださいね」
残念ながら今夜は別々の寝室だ。レーナルトは、そっと目を閉じた。
――母上、母上。
暗闇の中、何度呼んだことだろう。呼んでも誰も答えてくれないと言うのに。
レーナルトの母親は、王妃の座を追われてからゆっくりと正気を失っていった。
王の愛を失った王妃の息子。誰もレーナルトのことなど気にかけていなかった。
熱が出て、夜中に喉の乾きを覚えて呼び鈴を鳴らしたとしても――何度も何度も鳴らしてようやくやってくるのだ。
夜中に呼び出された不機嫌を隠そうともせず。それは彼が皇太子に定められるまで続けられた。
正式に皇太子になってからはむしろ、うるさいほどに彼の周囲に集まるようになったのだけれど――。
「……水」
喉の乾きを覚えてレーナルトは夜中に目覚めた。侍従を呼ぼうとベルを鳴らそうとすると、
「お目覚めですか?」
リティシアの静かな声がした。
「なぜ、ここにいる?」
「お熱があるのです。目が覚めた時、誰もいなかったら、心細いでしょう?」
いつの間にかベッドの側には一人用のソファが持ち込まれていた。リティシアはそこに座っていたらしい。
「それともわたくしの侍女の方がよかったですか?」
そんなことはない。ついていてくれるのなら、リティシアがいい。
「お水をどうぞ」
レーナルトの手にグラスが手渡される。
彼が水を飲んでいる間に、リティシアはそっと額に手をあてて熱を計った。
「少しありますね……まだ、起きないでくださいね」
汗をかいた夜着が体にまとわりつく。
「お着替えをして、シーツも取り替えなければなりませんね」
水を飲み終えたレーナルトに手を貸して、汗をふき取るとリティシアは、夜着を着替えさせる。それから自分がかけていたソファへとレーナルトを腰掛けさせ、彼が驚くほどの手際の良さでシーツを掛けかえた。
「そんなこと、どこで覚えた?」
小国とはいえ、一応リティシアは王女だ。自分でシーツの掛けかえなどしたことがないだろうに。
「マイスナート城にいた間です。あそこは人手が足りないので、シーツくらいは自分で変えたのですよ」
家出していた間のことを持ち出されてレーナルトは複雑な表情になった。
夜着とシーツは籠に入れてレーナルトの居間の方へとおいてくる。
新しいシーツは肌に心地よかった。レーナルトは目を閉じる。
「……リティシア」
「何でしょう?」
「隣に寝てくれないか?」
「……お体のことを考えてください」
少し、あきれたようなリティシアの声がした。
「違う、側にいてくれればいいんだ」
暗闇の中、静かにリティシアが服を脱いでいる気配がした。
下着だけになったリティシアが、そっと彼の隣に潜り込む。
「ゆっくりお休みくださいね」
いつもより体温の高い夫によりそい、リティシアはささやく。
レーナルトは、だまっているリティシアを抱きしめた。
もとめていたぬくもり。
――そうか、もとめていたのはこれだったのか。
うとうととしながらも彼は得心する。
幼い頃から彼に欠けていたもの――人の温もりを感じること。
それをリティシアは惜しみなく与えてくれる。
無理に肌を重ねる必要はなかったのだ。望めば彼女はこうして寄り添ってくれる。いつだって。
レーナルトはリティシアをいっそう引き寄せると目を閉じる。
やってきた眠りは、いつになく優しいものだった。
翌朝、国王の様子を伺いにきた侍従は、寄り添うようにして休んでいる国王夫妻を目にし――そっと扉を閉じたのだった。
「……もう、だめです……」
夫の腕に手をかけてリティシアは訴える。
「あなたは体力がないな」
リティシアの上でゆるやかに腰を動かしていたレーナルトは笑った。
「……何度目だと……思って……あっ」
彼の動きに従って、リティシアの声が高くなる。
視察から戻った日はいつもこうだ。朝まで何度ももとめられる。
くったりとしたリティシアを抱きしめて、レーナルトは頬に口づける。
「わたしはそろそろ行かなければならないな」
途中うとうとしていた以外は、朝までリティシアを苛んでいたとは思えない機嫌の良さでレーナルトはベッドを出る。
リティシアの額にかかった髪を払いのけて、レーナルトは今夜の夕食は一緒に、と言い残して出かけて行った。
リティシアの湯浴みを手伝おうとしていた侍女たちは思わず絶句した。
さすがに外から見えるところにはついていないものの、至る所に赤い色が散らばっている。
最近の王は度をこしているようだ――。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
リティシアの体調を気遣うゲルダに彼女は笑顔を見せる。
「それにしても……」
「数日したら落ち着くから」
リティシアは侍女たちに微笑んで見せた。実際、数日すれば落ち着くのだ。ほぼ毎晩肌を重ねているとはいえ、リティシアが壊れるのではないかと思うほど、無茶な抱き方をするのは数日の間だけでそれ以外の期間はそれはもう丁寧に扱ってくれる。
リティシアにはわかっている。離れていた間を埋め合わせようとしているのだと。
それが数日ですむならば問題ない、とリティシアは思っている。肌の至る所に赤い跡をつけられるのは、困ったものだと思うけれど。
その夜、レーナルトは居間に入ったとき軽いめまいのようなものを覚えていた。
「どうなさいました?」
先に居間に入っていたリティシアは立ち上がった。傍らのテーブルには夕食の用意が調えられている。
夫婦は二人きりで夕食を取るのを好み、すべての料理はテーブルとその側におかれたワゴンに用意されている。
「いや、何でもない」
レーナルトはごまかそうとする。
すっと近づいてきたリティシアは、レーナルトの額に手をあてた。
「お熱があるじゃないですか。お食事は召し上がれそうですか?」
言われてレーナルトは初めて気づく。あまり食欲がないことも、頭痛がしていることも。
「困りましたね。すぐにお医者様をお呼びして、診察してもらいましょう」
リティシアは慌てて侍医を読んだ。
診断の結果は、過労だった。
「無理、なさるからですよ」
ベッドに押し込まれたレーナルトにつきそって、リティシアは心配そうな顔になった。
「明日になれば、熱もさがりますからゆっくりお休みくださいね」
残念ながら今夜は別々の寝室だ。レーナルトは、そっと目を閉じた。
――母上、母上。
暗闇の中、何度呼んだことだろう。呼んでも誰も答えてくれないと言うのに。
レーナルトの母親は、王妃の座を追われてからゆっくりと正気を失っていった。
王の愛を失った王妃の息子。誰もレーナルトのことなど気にかけていなかった。
熱が出て、夜中に喉の乾きを覚えて呼び鈴を鳴らしたとしても――何度も何度も鳴らしてようやくやってくるのだ。
夜中に呼び出された不機嫌を隠そうともせず。それは彼が皇太子に定められるまで続けられた。
正式に皇太子になってからはむしろ、うるさいほどに彼の周囲に集まるようになったのだけれど――。
「……水」
喉の乾きを覚えてレーナルトは夜中に目覚めた。侍従を呼ぼうとベルを鳴らそうとすると、
「お目覚めですか?」
リティシアの静かな声がした。
「なぜ、ここにいる?」
「お熱があるのです。目が覚めた時、誰もいなかったら、心細いでしょう?」
いつの間にかベッドの側には一人用のソファが持ち込まれていた。リティシアはそこに座っていたらしい。
「それともわたくしの侍女の方がよかったですか?」
そんなことはない。ついていてくれるのなら、リティシアがいい。
「お水をどうぞ」
レーナルトの手にグラスが手渡される。
彼が水を飲んでいる間に、リティシアはそっと額に手をあてて熱を計った。
「少しありますね……まだ、起きないでくださいね」
汗をかいた夜着が体にまとわりつく。
「お着替えをして、シーツも取り替えなければなりませんね」
水を飲み終えたレーナルトに手を貸して、汗をふき取るとリティシアは、夜着を着替えさせる。それから自分がかけていたソファへとレーナルトを腰掛けさせ、彼が驚くほどの手際の良さでシーツを掛けかえた。
「そんなこと、どこで覚えた?」
小国とはいえ、一応リティシアは王女だ。自分でシーツの掛けかえなどしたことがないだろうに。
「マイスナート城にいた間です。あそこは人手が足りないので、シーツくらいは自分で変えたのですよ」
家出していた間のことを持ち出されてレーナルトは複雑な表情になった。
夜着とシーツは籠に入れてレーナルトの居間の方へとおいてくる。
新しいシーツは肌に心地よかった。レーナルトは目を閉じる。
「……リティシア」
「何でしょう?」
「隣に寝てくれないか?」
「……お体のことを考えてください」
少し、あきれたようなリティシアの声がした。
「違う、側にいてくれればいいんだ」
暗闇の中、静かにリティシアが服を脱いでいる気配がした。
下着だけになったリティシアが、そっと彼の隣に潜り込む。
「ゆっくりお休みくださいね」
いつもより体温の高い夫によりそい、リティシアはささやく。
レーナルトは、だまっているリティシアを抱きしめた。
もとめていたぬくもり。
――そうか、もとめていたのはこれだったのか。
うとうととしながらも彼は得心する。
幼い頃から彼に欠けていたもの――人の温もりを感じること。
それをリティシアは惜しみなく与えてくれる。
無理に肌を重ねる必要はなかったのだ。望めば彼女はこうして寄り添ってくれる。いつだって。
レーナルトはリティシアをいっそう引き寄せると目を閉じる。
やってきた眠りは、いつになく優しいものだった。
翌朝、国王の様子を伺いにきた侍従は、寄り添うようにして休んでいる国王夫妻を目にし――そっと扉を閉じたのだった。