最後の女神




エディが騎士団に来た日

 その朝、ファーレス騎士団の官舎には不穏な空気が漂っていた。一応騎士団、ということになっているがここの長は元は傭兵。貴族の子弟が大半を占める他の騎士団と違い、平民出身の構成員が多いここでは、騎士団と言いつつもどこか乱暴な雰囲気が漂っている。

「オーウェン、新しい団員とやらはいつ来るんだ?」
「今日の午後、だそうだ」
 思い思いに剣を打ち合わせながら、騎士団員たちはだらだらと会話を交わしている。
「俺たちに監視係なんて必要ないのにな」
 新しく配属される騎士団員というのは、他の団員と違って貴族の息子だという。それもかなりの名門の出らしい。

 あまりにも風紀の乱れているファーレス騎士団の風紀を少しでもよくしたいというのが上の思惑であるのは彼らも十分承知していた。
 だからこそ面白くないのだ。きけば新しい団員はまだ十六だという。そんな相手に監視されるなんてと思えば、腹立たしくもなろうというものだ。

「エドナ……エドワード・ウィルクスだ。どうぞエディと呼んでほしい」
 団長に連れられてやってきたのは、ひょろりとしたいかにもいい家の息子という風貌の持ち主だった。艶やかな黒い髪は耳のあたりでばっさりと切られている。背はそれほど高くなく、どちらかと言えば華奢な体型は、この場には似つかわしくないように見える。
 騎士団の制服よりはるかに上質な仕立ての衣服に身を包み、どこか緊張したような面持ちでエディは騎士団員たちを見ていた。

 新入りが入ってくればやることは決まっている。
「エディ、着替えて来い」
 オーウェンは顎をしゃくった。
「腕を見せてもらおう。俺たちの監視役に来ているということはわかってるんだ」
「……そんなつもりではないのだが」
 少し困った顔をして、エディはオーウェンを見ている。やけに整った顔立ちであるだけに、思わずどきりとして視線を反らしたものは一人や二人ではなかった。

 騎士団の制服に着替えて戻ってきたエディは、稽古用の剣を手に取った。
「……どうすればいい?」
「俺を負かしてみろ」
 若手の騎士団員の中では一番の腕を持っているオーウェンは、挑戦的にエディへと剣を突きつけた。
「……わかった」
「ウィル、始めの合図をしろ!」

 オーウェンの言葉に、近くで二人の様子を見ていたウィルが皆より一歩前に出る。
 エディは剣を構えてオーウェンを見据えた。その構えに周囲の者たちが内心舌を巻いたのをエディが気づくはずもない。
 隙がない――というだけではなかった。エディの身体から伝わる静かな威圧感のようなものが向かって立つオーウェンを圧倒する。

「始め!」
 ウィルの言葉が鋭く周囲の空気を引き裂く。先に動いたのはオーウェンだった。隙はない――けれど、力押しでいけるはず。相手はとても細いのだから。
 刃と刃が正面から打ち合わされた。鋭く打ち込んだオーウェンの剣を、エディは細い体で正面から受け止めていた。
 そのまま力比べになる。ここで一気にかたをつけてもいいのだが、それでは面白くないとオーウェンが一度引こうとした瞬間だった。

 オーウェンが体勢を立て直す前にエディが打ち込んでくる。一度、二度と刃がぶつかり合って火花が散った。緊張しているのか、少し顔をこわばらせたままエディは何度も打ち込んでくる。
 最初からあまり余裕がないとはオーウェンも思っていたが、こんなに若いのに互角に打ち合ってくる相手というのはなかなかいるものではない。
 これはまずい、と思い始めた頃だった。エディの動きがだんだん鈍くなってくる。体力ではオーウェンにはかなわないということなのだろう。

 ふらつきながらエディが打ち込んできた剣をオーウェンは軽々と弾き飛ばす。その剣が地面に落ちるのと同時に右手を差し出した。
「……ようこそ、ファーレス騎士団へ」
 それは仲間として認められないまでも、エディがファーレス騎士団に受け入れられた瞬間だった。

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 騎士団といえど、酒の席では無礼講だ。上部が風紀の乱れを警戒しているファーレス騎士団ならなおさらのこと。
 適当に床に座り、グラスなんて割れやすいものではなく頑丈なカップが各自に配られる。エディは、行儀よくカップを両手で持ってちょこんと端に座っている。
 最初のうちは和やかだった飲み会も、酔いが回れば荒っぽい雰囲気になってくる。

 借金を返した返してないで口論していた二人が、勢いよく立ち上がった。一触即発という剣幕だ。
「それはだめだ! 皆の迷惑になる!」
 おとなしく座っていたエディの声がふいに響いた。その場にいた全員が、思わず動きをとめる。今、まさに殴りあおうとしていた二人までも。
 その場をおさめようとオーウェンが腰を浮かせかけた時、カップを置いたエディが二人にしなやかな仕草で近づいた。

「頭を冷やして来てください!」
 エディは、リオネルとブライの首の後ろに手をやった。そして、二人をずるずると引きずっていく。
「ちょ――マテ!」
「わかった! おとなしくするから!」
 リオネルとブライの懇願もエディの耳には届いていないようだ。
 常人よりはるかに鍛えられている騎士団員たちを軽々と扉のところまで引きずっていき、ひょいと扉の外に放り出した。

 ぴしゃりと扉をしめて、エディは静かになった室内を見回す。しん、と静まり返った室内にいた皆はエディの力に驚いていた。見た目はこんなに細いというのに。エディはその視線に込められた意味に気づく様子もなく、静かに室内を見回す。
「……何か問題でも?」
「いや」
 オーウェンは笑うと、エディを手招きした。

「まあ飲め。少しは飲めるんだろ?」
「……家では飲んだことなくて」
「いいから飲め。十六なら少しくらい飲んでもいいだろー?」
 床にぺたりと座り込んで、エディはカップに注がれた酒を睨み付けた。一息にカップを空にして、喉を流れ落ちる熱に顔をしかめる。
「飲みなれないか? まあ、そのうち慣れるさ」
 誰かがエディの肩を叩き、お代わりをカップに注いだ。

 それから数十分後。オーウェンは隅で飲んでいたはずのエディの姿が消え失せているのに気が付いた。
「エディは?」
「寝てる」
 見れば部屋の隅でエディが丸くなっている。
「――酒の方はてんでだめなんだな」
「子どもだからだろ」
 丸まっているエディの顔は少し幼く見える。考えてみればまだ大人にはなりきってないのだなぁと、たいして変わらない年のくせにオーウェンたちはエディを微笑ましく見守る気になっていた。

 エディ・ウィルクスが、病弱な兄に代わって入団してきた伯爵令嬢である――ということを彼らが知るのはそれから数日後のこと。
 偶然着替えを見てしまったオーウェンが真っ青になって、ついうっかり口を滑らせたのがきっかけであるが、エディは何も知らない。

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 あれから、三年。
「何を食ったらそんなにでかくなるんだろうな?」
 オーウェンは自分よりはるか上にあるエディの顔を見上げた。
「……さあな。それがわかれば皆に同じものを食べさせる。体格がいい方が有利だからな」
 オーウェンより頭の位置が高いエディは、自然にオーウェンを見下ろす形になる。それが気に入らないのか、オーウェンは少しでも背を高く見せようとこっそりかかとを浮かせてみる――周囲にはばればれなのではあるが。

「それはまあそうだろうな――飲みに行くか」
 何を食べればいいのかという考えを頭から追い払ったオーウェンは、エディを酒場へと誘う。エディは肩をすくめた。
「お前の奢りならいい」
「……ほどほどのとこにしといてくれ。お前一度飲み始めたら止まらないだろう」
 何を食えばそんなにでかくなるのだ、とはファーレス騎士団所属の騎士たち全員が考えていることだ。

 何しろエディは周囲の騎士たちより頭半分ほど大きいのだ。背が伸びただけではなく、それと共に身体のあちこち――特に胸回り――も立派になって今では若干目のやり場に困るほどだ。
「ここに来てからずいぶん鍛えられたからな、お前に」
 エディは軽やかに笑った。オーウェンはそれに一瞬見とれかけ――それから慌てて目をそらす。
「お前ら、遅くなるなよ!」
 通りすがったウィルに声をかけられてエディは苦笑した。

「わたしが来た意味はまるでなかったようだな。彼らの行状はちっとも改まってないじゃないか」
 ウィルに手を振っておいて、エディは肩をすくめる。
「そんなことないさ。お前がいるからこれですんでいるんだ」
「……そうか?」
 エディは気づいていないだろうけれど、皆気をつかってはいるのだ――それなりに。行状が改まっていないという理由で、エディが他所送りになってしまっては困る。
 官舎を出ていく二人を、周囲はこっそり見送っている。オーウェンに向ける視線が若干生暖かいものになっているのは気のせいではないはずだ。


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