最後の女神




男心はわからない

 騎士団の詰め所へと戻ってきたエディは、広間に入ってくるなりあきれたような目で仲間たちを見回した。
「お前たち、いったい何をしているんだ?」
「任務だ、任務」
「バカじゃないか?」
「俺たちだってバカバカしいとは思っているさ」
 エディの視線の先にいる騎士団員たちは、皆一生懸命に鏡をのぞき込んで化粧道具を手に、慣れない手つきで化粧を施しているのだからバカバカしいと言えばバカバカしい。

「何の任務だ、何の?」
「お前聞いてないのか?」
 整った美貌からあきれたように吐き出したエディの嘆息に、これまた分厚く白粉を塗ったオーウェンが首を振る。一応ファーレス騎士団の騎士団長なのだが……へたくそな化粧を施した状態では迫力も何もあったものではない。
「次の満月の夜、舞踏会が開かれるだろう。招待客に紛れ込む必要があるんだ。某国の密偵が入り込んでいるという情報があってな、招待客に紛れて会場内に入る」
 
 ファーレス騎士団は一応騎士団と名乗ってはいるが、王宮に勤める騎士団の中では少し毛色が変わっている。貴族の師弟が所属するよりも、主立ったメンバーが元は傭兵だったり平民出だったりするために遊軍的な扱いなのだ。
 ここにエディが配属になったのは、規律を乱しがちな騎士団員たちを統率するためであり、だからこそ彼らに今回のような任務が回ってくることが多い――さすがに女装は初めてだが。
オーウェンの説明にも、エディは納得した様子は見せなかった。
「何もお前たちが化粧する必要なんてないだろうが――化粧したところでむさ苦しい男でしかないぞ」
 エディは頭に手をやり、黒髪に指を滑らせる。

「十代前半の騎士見習いを女装させ、お前たちはそのつきそいという形を取ればいい――その方がよほどばれにくいんじゃないのか? 見習いだって剣はそれなりには使えるんだろう? パートナーが足りない奴は、使用人として入り込めばいい。給仕や招待客の世話係や――いくらでも手は必要だろう」
「あ」
 本気で気づいていなかったのだろうか――エディが顔をしかめている間に、野郎どもはばたばたと化粧を落とし始める。

「どうせなら、お前もやれ。お前なら格好がつくだろう」
 濡れた顔をハンカチで拭いながらオーウェンが言う。
「わたしが?」
 エディは勢いよく鼻を鳴らした。
「こんなにでかい女がどこにいる」
 いるだろうっ! エディの言葉に、その場に居合わせた騎士団員たちは互いに顔を見合わせた。
 エディ、エドワード・ウィルクス――本名、エドナ・ウィルクス。伯爵家の令嬢である。もっとも本人は自分の素性が知られているとは思っていないから、よりいっそう質が悪かったりするのであるが。

 エディが自分のことを「でかい」と言ったのは、長身ぞろいの騎士団員たちの中でひときわ目立つ長身だからだ。
「いーだろ、別に。俺がエスコートしてやる」
「わかった。やってやる――」
  オーウェンがにやりとすると、エディは顎に手を当てた。
「さすがに化粧の仕方まではわからないな。兄に侍女を回してもらうように頼んでおく。ちょうど今都に来ているし」
 兄に使いを出すと言ったエディが広間を出ていくと、騒然となった騎士団員たちは、団長であるオーウ
ェンに詰め寄った。

「オーウェン、貴様!」
 どうせなら、女装の見習いじゃなくエディをエスコートする役は自分がやりたい――思うところは同じである。
「役得だ、役得」
 得意げなオーウェンを騎士団員たちが取り囲む。
「とりあえず、全員集合、こいつをしばくぞ! 囲め囲め!」
「お前らっ! 俺一応団長だぞっ! ちったぁ遠慮しろっ!」
 ファーレス騎士団は、今日も平和なのである。

◇◆◇◆◇

 そんなこんなで満月の夜となった。
「おい、本当にこれで大丈夫なのか? どう考えたって大きすぎだろう!」
 青いドレスに身を包んだエディは美しかった。すれ違った騎士団員たちが全員二度見したほどである。

 あれから二週間。ファーレス騎士団にはウィルクス家から侍女、というかエディが子どもの頃世話をしていたという乳母が派遣されてきた。
 この乳母が実に行儀作法にうるさくて、レディとしての作法を忘れ去ったエディと見習いたちは二週間にわたってみっちりと仕込まれた。
 おかげで、こうして舞踏会の会場に乗り込んでも、悪目立ちしているというわけではない。

「だいじょうぶだ。十分美女に見える。しかし、こう首元を締め付けるというのは慣れないな」
 居心地悪そうにオーウェンは首に巻いたクラヴァットに指を差し込んだ。何とかしてて隙間を作ろうとする。
「――こっちの身にもなってみろ。頭は重いわ、息は苦しいわ、二度とやらないぞ」
 周囲には男で通している(全員見て見ぬふりではあるが)エディが女装しているという建前であるため、ドレスの襟は高く、顎のすぐ下までしっかりと覆っていた。
 そこにやたらきらきらした宝石の首飾りをかけ、腕の線を隠すために手首まで緩やかなラインを描く袖で隠している。いつもは首の後ろで束ねてあるだけの艶やかな黒髪は塔のように高く結い上げられて、そこに首飾りと揃いの髪飾りと生花があしらわれていた。

 ”男同士”なのでここぞとばかりにじろじろとオーウェンはエディの胸元に視線をやる。
「胸にずいぶん詰め物したんだな」
「ばあやにやられた。このくらいしないと迫力がないとか言ってたな」
 西瓜が二つ、とオーウェンは実に生々しい感想を抱いたのであるが、詰め物ではなく自前らしいということは騎士団員全員の暗黙の了解である。
 会場内には、使用人に扮した騎士団員たちも紛れ込んでいて、エディと並んでいるオーウェンに時々恨めしげな視線を送っている。余談ながら、オーウェンの方が頭の位置が低い。

「エディ。ちょっと顔貸せ」
「どうした」
 扇の陰に顔を隠し、エディはオーウェンに顔を寄せる。
「向こうの花瓶のところに立っている男、ジャイド子爵と何やらひそひそやってた――俺は後をつけてみる。お前はここにいてくれ」
「わかった。わたしはここに残って警戒を続ける。誰か連れて行かなくて平気か?」
「一人で大丈夫だ」
 
 オーウェンがジャイド子爵とひそひそ話をしていた男――オーウェンの見立て通り密偵だった――を捕まえて縛り上げ、部下に引き渡してから戻ってくると、会場からエディの姿は消え失せていた。
「エディがいない、お前見なかったか?」
「さっきテラスの方に行くのを見た」
 会場内に紛れていた騎士団員を見つけてたずねてみれば、男とテラスに出たという。
 慌ててオーウェンがテラスに出ようとした時、「うわあああ!」と男の声が響いてきた。

「どうした、エディ、何があった」
 駆けつけてみれば、エディは平然と立っている。足下には男が一人転がっていた。
「怪しい男が声をかけてきたので乗ってみたんだが、全然怪しくなかった。キスされた――」
「何だって!」
「――ので、ちょっと払ったらこうなった。見立て違いだ……失敗した」
 エディはしょんぼりしているのだが、ちょっと払ったどころのダメージではなさそうだ。何しろエディは馬鹿力なのだ。
 オーウェンはテラスの床に転がっている男に容赦なく踵を落とした。エディが同情したような目を悶絶している男に落とす。

「いいだろう、キスぐらい。減るもんじゃなし。わたしが間違えたのが悪い」
「減る、俺のエディが減った!」
「減らないと言っているだろう、任務中の事故だ。それより、怪しい奴はどうした?」
「そんな奴はどうでもいい! もう捕まえた!」
「それなら、さっさと警備員に引き渡してこい!」
「ブロイに渡したから大丈夫だ!」
 怒り狂うオーウェンが、「自分の恋人に手を出した男を殴り倒した」という体にして、倒された男は丁寧に医務室に運ばれた。
 その夜、もう一人の密偵が捉えられ――任務は無事に終了したのであるが。

「ウィル、何でオーウェンはあんなに怒っているのだろうな?」
 エディは首をかしげる。
「気にするな、エディ。友人が男に手を出されたから腹が立っているだけだ」
「わたしは気にしないのにな」
 もう少し気にした方が、というツッコミは入れるだけ野暮というものなのだろう。ウィルは苦笑いでその場を離れる。
 もう少し「男心」を理解してやってもいいだろうに――と思いつつも、無理だろう、と皆わかっている。
 エディがオーウェンにおちるか否か――おちる方に賭ける人間があらわれる日は遠い。


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