最後の女神




ずるずると

 直哉に呼び出されたのは、一月の三連休が終わった頃だった。茗田駅前のカフェ。改札じゃないところが、進歩なのか退化なのか。カフェラテを注文して、窓際の席に座る。少し遅れてやってきた直哉は、わたしを見るなり口を開いた。
「どうして、結を連れてきたんだよ」
 まさか正月の話を蒸し返されるとは思わなかったから、わたしは言葉につまってしまう。
「だって、あの日は……ホテルに行けない状態だったし」
 生理中ってメールしたんだから、そこのところは察してほしい。
「……なんだよ」
 なんだか不機嫌になるから、わたしもきょとんとしてしまう。

「他の目的があるっていうの?」
「……だから」
 それだけを口にするなり、直哉は口を閉じてしまった。彼が言葉につまるってめったにないことだったから、わたしは彼の出方がわからなくてそのまま次を待つ。
「いや、まあいいや。今日は大丈夫なんだろ?」
「大丈夫、だけど……」
 直哉は考えることを放棄したみたいだった。お互い飲み物を空にするまで待ってから立ち上がる。

「行こうか」
 連れて行かれたのは、おなじみのラブホテルだった。ここに通い始めてもう何年になるのかなんて考えるのも面倒だ。
 わたしの身体は直哉の手で開かれて、直哉の手で触れられることの喜びを知った。自分に性欲があることまでは否定しようと思わない。性欲なんて人間の三大欲求に含まれるくらい基本の基本の基本なのだから。

 家とは違うボディソープを使うな――という忠告は、いつの間にか無効になっていた。わたしももう子どもじゃない。付き合う人の一人や二人いても全然問題のない年齢で、親もそのことについては何も言わない。
 直哉との関係をこの状態で気づかれていないというのはある意味すごいと思う。それだけわたしたちがは用心しているという証でもあるけれど。
 両親は茗田にはめったに来ることがない。わたしたちは改札を出るとそそくさと裏通りに入ってしまうから、知人に目撃される可能性も低い。
 おまけに家に戻る時間もばらばらなのだから、一緒にいたと想像する方が難しいのかもしれない。

「俺、飢えてるんだよな」
 その言葉の通り直哉は飢えていた。シャワーを浴びる、とかそんな暇なんてない。マフラーがソファに放り投げられる。激しくキスをしながら、コートのボタンに手がかかる。コートがマフラーの後を追ってソファに放り出されたと思ったら、そのまま抱き上げられた。
 あっという間にベッドに転がされて、そこから先は直哉のペースに完全に持っていかれてしまう。
「この間、結なんか連れてくるから」
 最初に言ったのと同じことを直哉は繰り返した。ぶつかるようなキスの合間になじられると、頭がぽうっとしてくる。
「言った……で、しょ……できな……」
 直哉がわたしに求めるのはそれだけでしょう? 言葉にならない思いが、視線に乗って直哉に突き刺さる。直哉はその意味を敏感に感じ取って、もう一度唇を塞いできた。

「ん、あぁ……」
 触れられるとぞくぞくする場所。今までに何度も身体を重ねて完全に知り尽くされている。直哉の手は忙しく動いていて、あっという間にニットと下着を一緒に捲り上げていた。
 背中とベッドの間に強引に手を差し入れて、ホックを簡単に外してしまう。ブラジャーをずり上げられたら、裸の胸が晒されていた。
「少し太ったんじゃないか?」
「残念、やせました」
「あー、じゃあ、身体がたるんできてるんだ。お前もいい年だもんなー」
 自分は十歳も年上の癖に直哉は勝手なことを言う。
「あなただって、いい年じゃないの」
「俺はちゃんと鍛えてるからいいんだ」
 何のためらいもなく上半身に着ていたものを床の上に放り投げて、直哉は身体を見せつけた。首から肩にかけての線がとてもきれい。ほどよく筋肉がついている。

 服を着ている時はむしろやせ気味なのかと感じるほどなのに、胸板は少々厚め。お腹はしっかり割れていて、たるんでいるところなんてどこにもない。
「どこで鍛えてるの、こんなに」
「ジム。会社帰りに寄るんだよ。そうじゃないとすぐ腹が出るからな」
 それだけ自分の外見に気を配っているということでもあるんだろう。もう三十代も半ばだけれど、髪は少しだけ明るくしてある。太陽の下に出ないと染めているってわからないくらいの自然な色。
 きちんと身体をメンテナンスしているっていう自信があるからなのだろうか。傲慢にさえ見えるほどの強い意志が表情に表れている。
 この人はきっと仕事ができるんだろうなと、身体の関係があるとかいとこだからとかそういう欲目を全て取っ払って見たとしても素直にそう思えた。

 だったら、何でわたしなんて相手にするんだろう。
「ねえ、何でわたしとこんなことをしているの?」
 問われて直哉の自信満々だった表情が崩れた。
「都合のいい相手だっていうのは知ってるよ? でも、何でわたしなの? 面倒だとは思わないの? 親戚だよ?」
「……結なら、面倒だろうな」
 あきれたことに彼の口から出てきたのは妹の名だった。
「結なら、こんなことになったらすぐに親に言うだろ? 黙ってるなんてこと、できるはずがない。けど、静は違う」
 わかっていたことのはずなのに、息が苦しい。
 
 あの頃の結はまだ中学生だったから、彼女に手を出していたならそれこそ犯罪だったろうけれど。
 直哉にとって、自分はどうでもいい相手なのだと思い知らされるたびに――心が痛みを訴える。
 どうすればそれを解消できるかなんてわかるはずもなくて。諦めればいいのに、実家にしがみついているからどうしたって顔を合わせてしまう。

 急に静かになってしまったわたしに何を思ったのだろう。直哉は唇を重ねてくる。
 今日は乾いてかさかさしてるな、なんて余計なことを考えた。
「静と一緒にいると、すごく気が楽だ」
「そうだね、うん……そうだね」
 なだめるように触れた唇が離れて首筋へと落ちる。こんな風にされたって、慣れた身体は慣れた感覚を受け入れ始めている。
 こんなことに何の意味があるんだろう――目を開いていると余計なことばかり考えてしまいそうだから、わたしは目を閉じた。

「あ……」
 首筋を舌が這って、鎖骨へと移動する。窪みに沿って撫でられて身体が沿った。身体の芯が疼き始めている。
 もう少しすれば大丈夫。身体に火がついてしまえば余計なことなんて考える余裕もなくなるから。
 万歳するみたいに両腕はシーツの上に投げ出されている。剥き出しの乳房が吸い上げられた。
「あっ……痕は……ちょっと……!」
「見せる相手でもいるのか?」
 あ、不機嫌な声になった。目を閉じていたってわかる。自分だって他に彼女がいるくせに。わたしに付き合っている人がいたって呼び出すのをためらったことなんてないくせに。

 ちらりと芽生えた反発心が、声音に硬さを与えた。
「そういうわけじゃない、けど……制服、に着替え……あぁっ!」
 左の乳首がきついくらいに捻られて、それと同時に胸の谷間がぎゅっと吸い上げられた。
「ここならいいだろ。着替えたって見えやしない」
 そういうわけじゃないんだけど。わたしの所有権を主張してどうしようっていうんだろう。
 きっとその答えはどれだけ考えたってわかりっこない。直哉と身体を重ねるのはいつだって気持ちよくて、ただその快感が忘れられないからわたしは馬鹿馬鹿しいことを繰り返す。

 いつの間にか足は大きく開かされていて、その間から粘着質な音が響いていた。すっかり知り尽くされた箇所を指先でなぞられて、わたしはあっけなく達してしまう。
 それでよかった。頭が空っぽになって、その先をねだることしか考えられなくなって。
「そろそろ入れるぞ」
 わたしの返事なんて期待していないのはわかっているけれど、一応首を縦に振る。
 ぐっと直哉が押し入ってきた瞬間、もう一度昇りつめて、そこから先は彼のいいようにされるしかなかった。


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嫉妬する十年、恋する永遠へ