変化があったのかもしれない
琉太さんと別れたのは、それからしばらくしてのことだった。どっちが悪いとかじゃなくて――ただ、合わなくなった。それだけのこと。
一度生じたずれを修復するのは難しい。わたしがいくら望んでいないと言っても、彼との溝を埋めるには至らなくて、二人で決めたのはもう会わないということだった。紹介してくれた人にはちょっと申し訳なかったけれど、性格の不一致、と離婚の理由みたいなことを言ったら納得してくれた。
わたしの生活は以前に戻って、仕事場と家の往復、それから週末は家族や友達と過ごすようになった。
「お姉ちゃんてわかりやすいよね」
一緒に買い物に出かけた帰り、カフェで休憩しながら結が言う。
「彼氏がいる時期って彼氏べったりじゃない」
「ま、ね。その人のことだけ考えたいの」
好きな人がいる間、表には出さないところにもう一人いる。その人のことを忘れていたいから、彼氏べったりになってしまうんだ。
「わたしはそんな風にはならないから、わからないなー」
「わかる。結はわたしよりずっと恋愛上手だと思うもん」
結もわたしもアイスカフェラテを飲んでいる。結はそれにミルクレープを追加していた。わたしはこのところ太ってしまったから、スイーツは省略。
ストローをくるりと回すと、からんと音を立てて氷が崩れる。
ミルクレープを綺麗に食べるのって難しいと思う。結も苦戦していて、うまく切れなかったクレープが皿の上でぐちゃぐちゃになっていた。それをフォークで集めて、結は口に運ぶ。
「今の彼と何年だっけ?」
「五年?」
結は高校生の時にできた彼とずっと付き合っている。好きな相手ができてもすぐ別れてしまうわたしとは大違いだ。最初にできた彼とずっと付き合っていられるのって羨ましい。わたしはどこで間違えてしまったんだろう。
「五年は長いよね。好きな人とずっと一緒にいられるのってそれだけですごいと思う」
目を細めて、口から出たのは素直に羨ましがる言葉。直哉なんか見ていなかったら、わたしも結と同じような恋愛をすることができたのだろうか。
「……お姉ちゃんは違うの?」
「うーん」
わたしは首をかしげた。直哉への想いを捨てきれないのは別として、最初から好きだって思わなかったら付き合わない。
「好きだって思うから付き合うんだけど……付き合っているうちに何かが違うって思うみたい」
「どっちが?」
「そういうのってどっちからっていうのはないと思うの。だって……家族だって、絶対わかりあえないところってあるでしょ? わたしが彼氏と長続きしない理由が結にはわからないみたいに」
わたしがそう言うと、結は黙ってしまった。それから黙々とミルクレープを食べる。あっという間に空にして、結はその皿を押しやった。
「そう言えばさ、直哉兄さん――結婚しないのかな」
ふいに思いついたように結が言う。
「直哉兄さん? 結婚? どうして?」
結の口から直哉の名前が出てくるとは思わなかったから、目をぱちぱちとさせてしまった。
「直哉兄さんが結婚しないと何か困る?」
「困らないけどさー、けっこうかっこいいじゃない? そりゃ、ずいぶん年上なのは認めるけど」
「そうねぇ、結からしたらおじさんか」
結と直哉の年の差を考えれば、おじさん扱いでもしかたがないのかなと思う。わたしとは十歳、結とは十五歳違うのだから。
「おじさんには見えないよ。年より若く見えるもん。だけど、結婚しててもおかしくない年でしょ?」
「一人が楽しいんじゃないの? 結婚しなくたってちっとも困らないじゃない」
転勤するまではずっと実家に住んでいた――それはわたしも同じ。寮生活をしていた時以外はずっと実家。そろそろ家を出て一人暮らしした方がいいだろうし、そうすべきなんだろうけれど今のお給料じゃ正直無理だ。
就職活動に失敗したのも痛かったな。
「お姉ちゃんは……直哉兄さんのことどう思ってる?」
あまりの直球に、グラスを持ち上げようとしていた手が止まってしまった。
「直哉兄さんは、直哉兄さんでしょ。何でそんなことを聞くの?」
「……本当は、直哉兄さんのこと……」
「ちがう」
妹に見透かされているなんて思わなかった。彼女の言葉を途中で切って、必要以上に強い口調で言う。
「好きな人はいたよ。でも、別れた――今は次に好きな人ができたらいいなって思ってる」
わたしの口調が強かったから、結は黙ってしまった。
「……ごめんなさい」
ずいぶん長い間黙っていてから、ようやく結はそう言う。
「……わかってくれればいい。結の彼氏に誰か紹介してもらおう――と思ったけど、年下過ぎるか」
傷ついていないふりをして、気づいていないふりをしてわたしは笑う。今までずるずるしてきたツケだ。こんな風に一人になってしまったのは。
「……誰か紹介しようか?」
「ううん、いい。わたしみたいな年上紹介させるのも気の毒だしね――それに、わたし年上の方が好みなんだ」
わたしがそう言うと、結は
「いい人見つかるといいね」
と、残ったカフェラテを飲み干した。
家族に見透かされているなんて思わなかった。わたし、そんなにわかりやすいんだろうか。
結が知っているなら、他の人たちも何か言いそうなものだけれど――父も母も何も言わなかった。
◆ ◆ ◆
次に直哉が帰ってきたのは、それから数週間後のことだった。今度はわたしの携帯届いたメールで、それを知った。
「茗田駅、午後五時」
あいかわらずのメール。無視することだってできただろう。無視するべきなのもわかっている。
先約があったなら、わたしはきっと無視していた。けれど、あいにくとその週は予定がなくて、家族とのんびりしているつもりだった。
どうする? 指定された土曜日ぎりぎりまで迷って――それから出かけることにした。
「今日は友達と御飯を食べるから、夕食はいらない」
「そう? 何食べるの?」
「会ってから決める。都内まで出てくるから遅くなるよ」
「はーい。帰りは気をつけなさい」
新しい彼氏ができたって思ってくれたらいいけどどうだろうな。
わたしは支度をして家を出た。わたしが家を出る時に、隣家からは子どもたちの元気のいい声が響いていた。
茗田駅の改札。ここに来るのは何度目になるのだろう。もう数えるのもやめた。ここで待ち合わせるたびに同じことを考えているような気もするけれど。
「よう」
「……久しぶり」
なんだか直哉は少し変わったみたいだった。
「ホテル、直行するんでしょ? いつもの場所でいいの?」
「……いや」
ホテルに直行しない? 何があったの? きょとんとしていると、直哉はわたしの腕をとる。
「どこ行くの?」
「飯」
「まだ御飯には早いでしょう?」
まだ午後五時だ。夕食の時間には早すぎる。すると直哉は笑って、わたしの腕を引いた。
「今すぐ食うとは言ってない」
ますます意味がわからない。直哉がこんな風にわたしを扱うことなんてなかった。
「今日は飯を食うだけだ」
「えぇ?」
御飯だけって、御飯だけって――直哉とわたしの間にそういう関係ってあったっけ? いや、ありえないでしょう。
「何変な顔をしてるんだ?」
だって、おかしいでしょう。直哉がわたしを食事に連れて行くなんて――どうしたらいいのかわからないままに車に押し込まれていた。
車をしばらく走らせてたどりついたのは、雰囲気のいい店だった。住宅街から少し離れたところにあって、たくさんの車が駐車している。
「ねえ、どうしてわたしを食事に誘ったの?」
「今日、おやじもおふくろも出かけてるんだとさ。一人で飯を食うのはつまらないだろ?」
「……それだけ?」
「それだけ」
やっぱり今日の直哉は変だ。わたしはメニューを眺めているふりをして、表情を消そうとした。
食事の間も、直哉は変だった。落ち着かないというか、そわそわしているというか。
わたしが水を向けても、何を考えているのか口にしようとはしない。最後のコーヒーとデザートまできっちり食べ終えると、直哉はもう一度わたしを車に案内する。
そして、助手席にわたしを乗せると、まっすぐに家の方に向かって走らせ始めた。
「……駅でいい。そこから帰るから」
「いや、ちゃんと家まで送る」
おかしい。直哉は何を考えているんだろう……家の前で降ろしてもらった時も、その疑問は解消されなかった。
一度生じたずれを修復するのは難しい。わたしがいくら望んでいないと言っても、彼との溝を埋めるには至らなくて、二人で決めたのはもう会わないということだった。紹介してくれた人にはちょっと申し訳なかったけれど、性格の不一致、と離婚の理由みたいなことを言ったら納得してくれた。
わたしの生活は以前に戻って、仕事場と家の往復、それから週末は家族や友達と過ごすようになった。
「お姉ちゃんてわかりやすいよね」
一緒に買い物に出かけた帰り、カフェで休憩しながら結が言う。
「彼氏がいる時期って彼氏べったりじゃない」
「ま、ね。その人のことだけ考えたいの」
好きな人がいる間、表には出さないところにもう一人いる。その人のことを忘れていたいから、彼氏べったりになってしまうんだ。
「わたしはそんな風にはならないから、わからないなー」
「わかる。結はわたしよりずっと恋愛上手だと思うもん」
結もわたしもアイスカフェラテを飲んでいる。結はそれにミルクレープを追加していた。わたしはこのところ太ってしまったから、スイーツは省略。
ストローをくるりと回すと、からんと音を立てて氷が崩れる。
ミルクレープを綺麗に食べるのって難しいと思う。結も苦戦していて、うまく切れなかったクレープが皿の上でぐちゃぐちゃになっていた。それをフォークで集めて、結は口に運ぶ。
「今の彼と何年だっけ?」
「五年?」
結は高校生の時にできた彼とずっと付き合っている。好きな相手ができてもすぐ別れてしまうわたしとは大違いだ。最初にできた彼とずっと付き合っていられるのって羨ましい。わたしはどこで間違えてしまったんだろう。
「五年は長いよね。好きな人とずっと一緒にいられるのってそれだけですごいと思う」
目を細めて、口から出たのは素直に羨ましがる言葉。直哉なんか見ていなかったら、わたしも結と同じような恋愛をすることができたのだろうか。
「……お姉ちゃんは違うの?」
「うーん」
わたしは首をかしげた。直哉への想いを捨てきれないのは別として、最初から好きだって思わなかったら付き合わない。
「好きだって思うから付き合うんだけど……付き合っているうちに何かが違うって思うみたい」
「どっちが?」
「そういうのってどっちからっていうのはないと思うの。だって……家族だって、絶対わかりあえないところってあるでしょ? わたしが彼氏と長続きしない理由が結にはわからないみたいに」
わたしがそう言うと、結は黙ってしまった。それから黙々とミルクレープを食べる。あっという間に空にして、結はその皿を押しやった。
「そう言えばさ、直哉兄さん――結婚しないのかな」
ふいに思いついたように結が言う。
「直哉兄さん? 結婚? どうして?」
結の口から直哉の名前が出てくるとは思わなかったから、目をぱちぱちとさせてしまった。
「直哉兄さんが結婚しないと何か困る?」
「困らないけどさー、けっこうかっこいいじゃない? そりゃ、ずいぶん年上なのは認めるけど」
「そうねぇ、結からしたらおじさんか」
結と直哉の年の差を考えれば、おじさん扱いでもしかたがないのかなと思う。わたしとは十歳、結とは十五歳違うのだから。
「おじさんには見えないよ。年より若く見えるもん。だけど、結婚しててもおかしくない年でしょ?」
「一人が楽しいんじゃないの? 結婚しなくたってちっとも困らないじゃない」
転勤するまではずっと実家に住んでいた――それはわたしも同じ。寮生活をしていた時以外はずっと実家。そろそろ家を出て一人暮らしした方がいいだろうし、そうすべきなんだろうけれど今のお給料じゃ正直無理だ。
就職活動に失敗したのも痛かったな。
「お姉ちゃんは……直哉兄さんのことどう思ってる?」
あまりの直球に、グラスを持ち上げようとしていた手が止まってしまった。
「直哉兄さんは、直哉兄さんでしょ。何でそんなことを聞くの?」
「……本当は、直哉兄さんのこと……」
「ちがう」
妹に見透かされているなんて思わなかった。彼女の言葉を途中で切って、必要以上に強い口調で言う。
「好きな人はいたよ。でも、別れた――今は次に好きな人ができたらいいなって思ってる」
わたしの口調が強かったから、結は黙ってしまった。
「……ごめんなさい」
ずいぶん長い間黙っていてから、ようやく結はそう言う。
「……わかってくれればいい。結の彼氏に誰か紹介してもらおう――と思ったけど、年下過ぎるか」
傷ついていないふりをして、気づいていないふりをしてわたしは笑う。今までずるずるしてきたツケだ。こんな風に一人になってしまったのは。
「……誰か紹介しようか?」
「ううん、いい。わたしみたいな年上紹介させるのも気の毒だしね――それに、わたし年上の方が好みなんだ」
わたしがそう言うと、結は
「いい人見つかるといいね」
と、残ったカフェラテを飲み干した。
家族に見透かされているなんて思わなかった。わたし、そんなにわかりやすいんだろうか。
結が知っているなら、他の人たちも何か言いそうなものだけれど――父も母も何も言わなかった。
◆ ◆ ◆
次に直哉が帰ってきたのは、それから数週間後のことだった。今度はわたしの携帯届いたメールで、それを知った。
「茗田駅、午後五時」
あいかわらずのメール。無視することだってできただろう。無視するべきなのもわかっている。
先約があったなら、わたしはきっと無視していた。けれど、あいにくとその週は予定がなくて、家族とのんびりしているつもりだった。
どうする? 指定された土曜日ぎりぎりまで迷って――それから出かけることにした。
「今日は友達と御飯を食べるから、夕食はいらない」
「そう? 何食べるの?」
「会ってから決める。都内まで出てくるから遅くなるよ」
「はーい。帰りは気をつけなさい」
新しい彼氏ができたって思ってくれたらいいけどどうだろうな。
わたしは支度をして家を出た。わたしが家を出る時に、隣家からは子どもたちの元気のいい声が響いていた。
茗田駅の改札。ここに来るのは何度目になるのだろう。もう数えるのもやめた。ここで待ち合わせるたびに同じことを考えているような気もするけれど。
「よう」
「……久しぶり」
なんだか直哉は少し変わったみたいだった。
「ホテル、直行するんでしょ? いつもの場所でいいの?」
「……いや」
ホテルに直行しない? 何があったの? きょとんとしていると、直哉はわたしの腕をとる。
「どこ行くの?」
「飯」
「まだ御飯には早いでしょう?」
まだ午後五時だ。夕食の時間には早すぎる。すると直哉は笑って、わたしの腕を引いた。
「今すぐ食うとは言ってない」
ますます意味がわからない。直哉がこんな風にわたしを扱うことなんてなかった。
「今日は飯を食うだけだ」
「えぇ?」
御飯だけって、御飯だけって――直哉とわたしの間にそういう関係ってあったっけ? いや、ありえないでしょう。
「何変な顔をしてるんだ?」
だって、おかしいでしょう。直哉がわたしを食事に連れて行くなんて――どうしたらいいのかわからないままに車に押し込まれていた。
車をしばらく走らせてたどりついたのは、雰囲気のいい店だった。住宅街から少し離れたところにあって、たくさんの車が駐車している。
「ねえ、どうしてわたしを食事に誘ったの?」
「今日、おやじもおふくろも出かけてるんだとさ。一人で飯を食うのはつまらないだろ?」
「……それだけ?」
「それだけ」
やっぱり今日の直哉は変だ。わたしはメニューを眺めているふりをして、表情を消そうとした。
食事の間も、直哉は変だった。落ち着かないというか、そわそわしているというか。
わたしが水を向けても、何を考えているのか口にしようとはしない。最後のコーヒーとデザートまできっちり食べ終えると、直哉はもう一度わたしを車に案内する。
そして、助手席にわたしを乗せると、まっすぐに家の方に向かって走らせ始めた。
「……駅でいい。そこから帰るから」
「いや、ちゃんと家まで送る」
おかしい。直哉は何を考えているんだろう……家の前で降ろしてもらった時も、その疑問は解消されなかった。