最後の女神




かかってきた電話

 今まで桑原家と合同で過ごしていた年末年始だったけれど、今年は桑原家の伯父さんと伯母さんが旅行に行くと言っていたから、自分たちだけでのんびりと過ごしていた。こんな風に家族だけでゆっくり過ごす年末年始というのも珍しい。というか初めてかもしれない。何しろ、わたしが物心ついた頃には両家は隣同士で暮していて、年末年始に両家そろって食事をするというのもしょっちゅうだったから。
 だから、というわけでもないけれど今年はお正月の準備はいつも以上に簡単だった。クリスマスの後、数日に分けて大掃除をして、買い出しをすませる。
 お節料理は京都の老舗料亭の三段重をお取り寄せ。年越し蕎麦は、近所の蕎麦屋のものを。天ぷらだけは揚げたてがいいと父が譲らないから、かき揚げだけ揚げた。

 年始の挨拶を互いに住ませ、お節料理を囲みながら届いた年賀状を皆で見ていると、その中に長谷川君からの年賀状が混ざっていた。今年も彼の人柄を表しているようなシンプルな年賀状だ。
「本当に長谷川先生は律儀ねぇ」
 そう言って、母が感心する。父もうんうんと頷いていたけれど、朝からずっと飲んでいたからそろそろ眠りに落ちてしまいそうだ。
 去年、彼の方から送られてきたからと、今年はこちらからも年賀状を出したらしい。
 というのも彼には結が出したからだ。友達用に印刷した年賀状に一筆添えたとは聞いているけれど、何を書いたのか詳細は聞いていない。
 彼からの年賀状には元気でやっていることと、去年は後輩ができて少しだけ忙しくなったこと、そして現在の連絡先が書いてあった。

 家族だけだと飲んでいてもそれほどだらだらということにはならなくて、ほどほどのところで一度テーブルを片づけることにする。とっくに父は眠り込んでいて、結が毛布を持ってきてかけてあげていた。
 わたしは年賀状の束をまとめて持つと、自分の部屋へと入った。束の中から長谷川君の年賀状を探し出す。あれ以来、こちらから連絡する機会もなかったからメールしていなかった。だから気がつかなかったけれど、彼はアドレスを変更していたようだった。

 わたしは年賀状を見ながら、彼のメールアドレスを入力する。そして、こちらからメールを打った。
「あけましておめでとうございます。それと年賀状ありがとう。元気そうで、よかったと思いました」
 なぜ、こんなことをしたのか自分でもわからない。彼とは一度一緒に出かけただけなのに。それも結の家庭教師であって、わたしとはほとんど関係なんてないのに。
 だから返事が来るのは期待していなかった。ただ、少し懐かしくなっただけ。それに彼も家族と一緒にいるだろうし。
「ありがとうございます。今年もよろしくお願いします」
 期待していなかった返事が来たことに驚く。それから今年もよろしくと書いてあることになんだかほっこりしてしまった。

 今年は直哉は戻ってこなかった。というのも、伯父さんと伯母さんの旅行先は、彼の転勤先。温泉に宿泊するのだそうだ。きっと今頃は家族三人でのんびり過ごしているのだろう。それよりも、新しい彼女を引き合わせているのかもしれない。
 そんな風に胸がちくりとしなかったと言えば嘘になるけれど、直哉に会うこともなくて、今年のお正月は平和だった。わたしは家族とのんびり過ごし、三日目だけは大学時代に同じ寮だった有紀ちゃんと久しぶりに御飯を食べに行った。
 
◆ ◆ ◆

 有紀ちゃんと待ち合わせて入ったのは、年末年始もやっている駅ビルの中の店舗だった。同じ店内には、福袋らしきものを抱えた人たちもいる。わたしは買い物には興味ないから、初売りはスルーしたけれど。
 それは有紀ちゃんも同じみたいで、手に持っているのは自分の鞄だけだった。
「最近はどう?」
「特に何も」
「彼氏は?」
「今はいないんだ」
 会った瞬間、離れていた年月がなかったかのように会話が弾む。わたしが今はフリーだと言うと、有紀ちゃんは少し意外に思ったみたいだった。けれど、その表情をすぐに隠して、彼女は話題を変える。

「わたしね、今年結婚するんだ」
「うそ、誰と?」
「社会人になってからつきあい始めた人なんだけど――」
「うわー、いいなあ」
 心の底から羨ましいと思った。結婚なんてわたしには縁のない話――と、少し前までは思っていたけれど。

 去年あたりから結婚し始める友達が少しずつ増えてきて、やっぱり羨ましくなる。一生一人でいるんだって思っても、そうなりたくないってどこかで思ってるから。
「もし、彼氏欲しいなら……わたしの彼に頼んで誰か紹介してもらうけど……?」
「……うーん」
 どうなんだだろう。紹介してもらったところで、うまくいくのかとても不安だ。今までの人にも、わたしの心の奥に他の人がいるって指摘されてきた。
 きっと、そんな状態で他の人とおつきあいするのって失礼な気がする。
「そうね、その時が来たらお願いするかも」
「実を言うとね」
 有紀ちゃんはテーブルの上に身を乗り出した。

「彼の友達にも頼まれているの。誰かいい人いたらって――」
「そうなんだ。その時にお願いしようかな」
 薄く笑ってグラスをかちりと合わせる。久しぶりに有紀ちゃんと会って、なんだか前向きになれたような気がした。
 有紀ちゃんの結婚式は十月にやると聞いた。それまで、わたしが彼氏が欲しいっていう気になるかどうかはわからなかったけれど。何か変わっているといいなとは思った。

 どういうわけか、長谷川君とは、時々メールのやりとりをするようになった。内容なんてたいしたことはない。何を食べたとか、どこに飲みに行ったとか、仕事が大変とかそんなことばかり。
 毎日のようにメールが往復する時もあるし、一週間ほど途絶えることもあった。
 けれど、途絶えてもどちらからともなく復活して。メル友ってこんな感じなのかなって考えたりもした。どちらからも会おうっていうことにはならなかったから。

 おかしなことかもしれないけれど、互いに相手に彼氏や彼女がいるかどうかを詮索することはしなかった。
 わたしも、長谷川君もそこは踏み込んではいけない領域だって思っていたのかもしれない。
 わたしの中で長谷川君と一度だけ出かけた時の記憶は、羽毛布団にくるまれているみたいな柔らかくてあたたかな思い出で、よけいなことをしてその時の記憶を壊すのが怖かったのかもしれない。

 自分から能動的に動かなかったら、大人になってからの生活を変えるのって難しいのだと思う。ある意味平和ではあるけれど、代わり映えのしない毎日。
 それにどっぷりとつかっているのは心地よかったし、心が波立たないのは毎日穏やかに過ごすことができる。
 ずっとこのままでいられればいいと思ったりもした。直哉の顔を見なければ、落ち着いていられるのだから。
 そんな風に過ごしているうちに、季節はどんどん変わっていった。何もないままに春が過ぎて、夏ももう終わろうとしている。
 
 わたしの仕事は、毎週末休めるとは限らない。週末に休みたければ、シフトをうまくやりくりする必要がある。予備校は土曜日も日曜日も開いているのだ。
 そして、長期休みの前から休みが終わるまでの時期はいつも以上に忙しかったりする。短期講習に参加するのは、通年で申し込みをする学生だけじゃないから。
 十月の結婚式にはどうしても参加したかったから、九月は積極的に週末の仕事を引き受けた。
「さて、これで十月の休みはキープっと」
 結婚式なんて羨ましい。友人の結婚式に出るのは三回目。前回とメンバーがかぶっているし、この時期に着られそうなドレスは持っていないから買いに行かないと。

 長谷川君から電話をもらったのは、ちょうどドレスを買いに出かけている時のことだった。
 彼とメールをするようになってから半年以上になるけれど、電話をもらうのは初めてのことだ。わたしは少し緊張しながら電話をとった。


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嫉妬する十年、恋する永遠へ