最後の女神




思い知らされた現実

 結局、彼はわたしが誘いに乗るとわかっていたのだと思う。彼が指定した日、わたしは指定された待ち合わせ場所に行った。迷うこともなかった。
 駅前で待ち合わせたその日、彼はわたしを数駅離れたところにあるホテル街へと連れて行き――それからは定期的に呼び出された。
 呼び出されれば、わたしは断らなかった。断れるはずもなかった。
 いつか家族に見つかるかもしれないと言う恐怖もあったけれど、いそのこと見つかってしまえとも思った。

 いとこ同士なら結婚することができる。
 こうなってしまっていれば、誰もわたしと直哉が結婚することをとめられない。とても幼稚で愚かな考えだったけれど、既成事実さえ作ってしまえばどうにかなるんじゃないかって期待していたのだと思う。
 彼がわたしのことなんて、都合のいい相手としか見ていないことにも気づかずに。
 けれど、その愚かしい願望はすぐに打ち消されてしまった。

「……彼女?」
 最寄りの駅前、綺麗な女の人と連れ立って歩いている直哉を見かけたのは、最初に身体を重ねてから三か月ほどたった時だった。
 その間に何度呼び出されたかわからない。わたしは彼の誘いは極力断らないようにしていた――友達との先約を取り消したとしても。それなのに、彼の方は違っていたらしい。
 その場に立ち尽くして、わたしは二人を見つめていた。
 指を絡めて手をつないで、顔を見合わせて笑い合う。わたしには絶対に与えてもらえない笑顔だった。

 直哉は、わたしとは絶対に地元では会わなかった。待ち合わせはいつも数駅離れた場所。制服を着ていなければ、高校生と見とがめられることもなかったから、呼び出されるのは休日の午後だった。
 改札を出たところで待ち合わせて駅前のラブホテルに直行だ。
 その時だって、手をつないでくれることはなかった――こちらから手を出せば違ったのかもしれないけれど、わたしから指を絡める勇気なんて持ち合わせてなかった。

 嫉妬、という感情を知ったのはその時が初めてだったと思う。目の前が暗くなるのを感じながら二人の後をつけた。
 駅前のごみごみした商店街を抜けて、その先の住宅街へ。
 二人が消えていったのは、市内では人気のあるフランス料理の店だった。値段はお手頃で、料理はおいしくて、我が家でも桑原家でもお祝い事があるとこの店を使っている。
 この辺りにはあまりお洒落な店はないから予約するのが必須で――彼は今日あの女の人を連れてくるために事前に予約していたのだとわかってしまう。

 わたしには、そんなこと一度もしてくれなかった。「都合のいい女」という言葉が頭の中をぐるぐる回る。
 道端でぼろぼろ涙を流しているわたしにちらちらと視線が向けられているのもわかっていたけれど、涙をとめることはできなかった。

 わかっていたんだ。最初から――二十八の男が高校生を本気で相手にするはずなんてない。もっと早く生まれていればよかった。そうしたら、少しくらいは本気になってくれたかもしれない。

 きちんと化粧をして、華やかな色のワンピースを着た大人の女性と、すっぴんでTシャツジーンズの高校生じゃ比較しようもない。
 その日はどうやって家に帰ったのか覚えてない。ただ、買いに出たはずの参考書を買わずに帰ったものだから、次の日もう一度買いに出なければいけなかったことだけは覚えている。

 家を出よう。
 そう決めるまで長い時間はかからなかった。彼女がいる人と身体の関係を続けるのなんて間違ってる。
 高校生の割に見切りをつけるのが我ながら早いとも思う。
 けれど、彼との関係は最初から正しいものだとは思えなかったから、距離をあけるべきだと信じ込むのはそれほど難しい話ではなかった。
 それからあとは、直哉からの誘いはすべて断った。
「受験勉強が忙しいの。第一志望がDランクで……」
 その言葉を彼が信じたかどうかわからない。それからしばらくの間、個人的な連絡を控えてくれたのは納得してくれたからなのか、面倒事に巻き込まれるのはごめんだと思われたからなのか。

 けれど、そんなのどうでもよかった。あまりにも近すぎる人を頭から追いやるのは大変だ。勉強して、勉強して、勉強して――そうしている間は、何とか直哉のことを頭から追い払うことができていた。
 現役生は、冬休みに急に伸びたりすることもあるのだそうだ。冬休みは全部冬期講習で埋めてもらって、毎年恒例の両家の集いも欠席にしてもらった。

 中川家と桑原家では、毎年年末から年始にかけてはどちらかの家で過ごすのが恒例になっている。というのも、祖父母が住んでいるのは豪雪地帯で、冬には戻らないのが恒例なのだ。
 一度大雪で交通機関がマヒしてしまったことがあって、仕事始めに間に合わなかったことがあるのだそうだ。それ以来帰省は夏のお盆の時期と決められたらしい――わたしは詳しいことは知らないけれど、気がついた時には他のいとこたちに会うのはお盆の時期に限られていた。

 そんなわけで、年末になると両家の母はオードブルの用意だのおせちの用意だのを一緒にして両家で集まるのだ。
 直哉が大学生になった頃から、彼は欠席することが増えたけれど、親と過ごすより彼女や友達と一緒の方が楽しいだろうからと、気にしていなかった。この年までは。

「お姉ちゃんも来ればいいのに。直哉兄さんもいるよ?」
「ん、今やってる問題解いちゃったらね」
 結が、家に電話をかけてくる。今やっている問題集を最後まで終えるには、あと数時間かかるだろう。その頃には皆酔っ払っているだろうから、ちょこっと顔を出してそれで終わりにする予定だ。
 だけど、「直哉兄さんもいるよ?」という妹の声が引っかかってしまう。デートの現場を目撃してから、なるべく顔さえ合わせないようにして――本当は会いたかった。顔を見たかった。声が聴きたかった。

 こんな時親戚って不便だ。忘れようとしている相手とどうしたって顔を合わせる機会が生じてしまう。
 いくら言い訳したって、わたしは大馬鹿者だ。
 結局顔が見たいという欲求を抑えきれずに、紅白が中盤に差し掛かったところで隣家に顔を出してしまった。
「おー、静ちゃん遅かったな」
「座れ座れ、もう少ししたらお前も飲めるんだけどなー」
「ちょっとお父さん、それビールのグラス!」
 お父さんと彰吾伯父さんはすっかり出来上がってしまっていて、わたしにビールのグラスを渡そうとする始末だった。

 テーブルの上には、デパ地下で買ってきたオードブルや、母と玲子伯母さんが作った料理が所狭しと並べられている。
 ソファに目をやりかけて、わたしは慌てて目を反らした。あのソファの上で直哉に抱かれた。よく考えたら、あの日からこの部屋に足を踏み入れたことはなかった。
 鼻の奥にコーヒーの香りがよみがえってくるような気がして――
「何突っ立ってんだよ。そこに座ればいいじゃないか」
「今年は出かけなかったの」
「出かける相手がいねーんだよ」
 あの綺麗な女の人はどうしたの。油断すればその言葉が出てきてしまいそうだ。

「ちょっと食べたらすぐ帰る」
「あらあら、ジュースにする? お茶にする?」
「お茶がいいな」
 テレビに映っている女性演歌歌手が太っただの痩せただのと勝手なことを言い合っている父と伯父さんは、わたしよりもテレビに夢中みたいだった。
「これだから酔っ払いは困るわね」
「ホントにねー」
 あきれた様子の母と伯母さんに口調を合わせる。わたしが部屋に引き上げるのと一緒になって、結が帰って寝ると言う。
 こうして、この年の恒例行事も無事に終わったのだった。


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嫉妬する十年、恋する永遠へ