恋の終わり
初めての恋に、わたしはすぐに夢中になった。大学に行って、アルバイトに行って、あいた時間は全て洋司君のために使った。毎晩門限ぎりぎりに寮に帰る。勉強のためにと親には言ったけれど、勉強なんてしている時間はなかった。
けれど、夢中になっていた、と思っていただけなのかもしれない。わたしの気持ちは彼には届いていないみたいだった。
別れを切り出されたのは、町中にジングルベルが鳴り始める頃だった。
今までは家族と過ごしていたから、初めて彼氏と過ごすクリスマスになるはずだった。贅沢はできないけれど、ケーキを買って、チキンを用意しよう。そう計画して、彼に手編みのマフラーを送るつもりだった。
今までお揃いのものなんてなかったから、お揃いのものが欲しかった。だから練習のつもりで、自分用にマフラーを編んでいた。自分用が先に仕上がったその日――明日からは洋司君用を編むつもりだったのに。
わたしはいつものように、彼の部屋を訪れていた。何度も訪れたマンションは、その日もいつもと変わりないように見えていた。
「別れよう」
「……どうして?」
「だって、静、俺のことなんて見てないだろう?」
「……どういうこと……」
洋治君の言葉はとても静かで、わたしに別れを告げたばかりだとは思えなかった。わたしに怒っている様子なんてなかったから。
「わかるんだよ、静のことが好きだから。俺と一緒にいても、誰か他の人のことを考えてる」
「……そんなことないっ!」
わたしは叫んだけれど、洋治君は薄く笑うだけだった。
その微笑みを見て、わたしは凍り付いてしまった――見覚えがある。
「最初はそれでもいいと思っていた。けど、どんどんつらくなってきたんだ」
「……最初のうち……」
「静は可愛いし、甘えてくれるし、一緒にいて楽しかった」
「わ……わたしだって!」
洋治君と一緒にいたら楽しかった。甘えることに何の罪悪感を持たなくてすんだ。堂々と街を一緒に歩いて、お金がないなりのデートをして。いつまでもこんな日が続くと思っていたのに。
「わたしだって、楽しかった……よ!」
必死に言うけれど、洋治君の気持ちを変えることはできなかった。わたしも、いつまでもすがることもできなかった。
他の人のことを考えてる――その言葉を否定できなかった。今この瞬間、彼に言われるまで気づかなかったけれど、気がついてしまったから。
洋治君と直哉は似てた。そっくりだった。ぱっと見で二人を似ていると思う人はいないだろう。
背が高くて、髪も目も色素が薄い直哉と、染めない髪をナチュラルな形に揃えている洋治君と。直哉は背が高くて、洋治君は中背。直哉は細身で、洋治君はがっしりしている。
けれど、わたしを苦笑混じりに見るその表情はあまりにもそっくりで。だから、わたしは言葉を失ってしまう。
無意識のうちに、直哉にそっくりの人を選んでいた? 衝撃が身体を硬直させる。目から涙が溢れたけれど、それを拭うこともできなかった。
「……ごめんなさい……」
わたしはそれ以上、言うことができなかった。ぽろぽろと涙が落ちて、頬を濡らす。
「でも、わたし、……本当にあなたが好きだった」
精一杯の想いを、きっと彼は信じてくれないだろう。
わたしは静かに洋治君の部屋を後にした。
◆ ◆ ◆
別れたことを誰にも言うつもりはなかったけれど、有紀ちゃんにはすぐばれた。寮で食事をする回数が急に増えたから、ばればれと言えばばればれだ。
トレーに乗せた夕食をわたしの前に置いて、有紀ちゃんは同じテーブルに座った。もう皆食べ終えてしまっていて、食堂には人がぱらぱらとしか残っていない。
「別れたんだって?」
「……ふられちゃった」
ふられた、というのが正しい表現なのかはわからない。彼の方が最初からわたしに好かれていなかった、と感じていたかもしれない。
彼からしたらわたしをふったというよりは、あるべき形に戻っただけというのが正しい見解かもしれない。
「そっかー、この時期にそれはキツイよねー」
「あはは、そうだね」
有紀ちゃんはあっけらかんと言ったけれど、わたしは苦笑いで返すことしかできなかった。心の傷は深くて、せっかく編んだマフラーも使う気になれなくて、全部ほどいてしまったくらいだ。
「それで、クリスマスイブはどうするの? 一人寂しく過ごす?」
「そうすることになりそう」
有紀ちゃんに聞かれて、わたしは肩をすくめた。
「わたしと出かける?」
「女二人で?」
「それじゃ、何か問題でも?」
普段だったら悪くないと思うけれど、町中にカップルが溢れているその時期にはちょっと寂しい。
「おとなしく寮にいようかな」
「えー、テレビもスペシャルばっかりでつまらないのに?」
「DVD借りるし」
「じゃあ早く借りに行かないと、いいの全部借りられちゃうよ?」
それから有紀ちゃんは首をかしげて考え込む。
「寮のご飯ってその日何だっけ?」
「いつもと同じでしょ。ご飯にお味噌汁に……」
寮の夕食は、前もってメニューが決められている。毎月月末になるとその翌月のメニューが張り出されるのだ。
クリスマスだから、と言って特別なメニューが出るわけでもない。二人して食堂に張り出されたメニューを見てそれから顔を見合わせた。
「ほら、いつも通り」
鯖の味噌煮だったり小鉢だったりといつも通りのメニューだ。
「ねえ、こうしない?」
有紀ちゃんが提案する。
「その日は、食堂じゃなくて部屋でご飯食べるの」
「何を?」
「『花谷』でテイクアウトできるの知ってた?」
有紀ちゃんが口にしたのは、大学の近くにあるイタリア料理の店だった。
学生が気軽に通うにはちょっと高いけれど、誕生日とか特別な時に使うことが多い。わたしも一回だけ連れて行ってもらったことがある。
テイクアウトができるのは知らなかった。
「花谷の料理をテイクアウトしてきて、DVD見ながら食べようよ。ちょっと贅沢だけど、たまにはいいでしょ」
その提案は、わたしを一人にしないための有紀ちゃんの思いやりだった。だって、有紀ちゃんにはつきあっている人がいたはずだ。
「彼氏は?」
「その日はバイト……ほら、彼のバイト先……」
「あ、……そっか」
有紀ちゃんの彼氏はフライドチキンがメインのファーストフードでアルバイトしている。クリスマスの時期は、一番忙しい時期だ。休めるはずなんてない。
「皆朝から晩までお店にいないといけないんだって。閉店時間も延長」
「うわーお」
有紀ちゃんが軽い口調で言うから、同じような口調で返してみた。
「まさか、バイト休めってわけにもいかないし、わたしも一日暇ってわけ」
「……そうねー」
「他にも一人でいる子、誘ってみる?」
「そうする?」
「そうしようか」
一人でいるより、大人数で過ごした方が気が紛れる。ありがたく有紀ちゃんの提案を受け入れることにした。
クリスマスイブは、皆で寮のご飯は断って有紀ちゃんの部屋に集まった。
六畳の部屋に集まったのは五人。ベッドや机のある部屋に五人も集まるとぱんぱんで、二人はベッドの上、三人は床の上だ。
DVDは三日前に借りてあったから、アクション物を選んで勝手に流す。時々ちらちら画面に目をやるだけで、話の筋はなんとなくわかる。
「えー、静ちゃんふられちゃったの?」
「ひっどーい!」
口々に彼女たちは言うけれど、わたしは「そんなことないよ」と静かに返すにとどめておいた。
わたしと直哉の歪な関係が原因で洋司君との付き合いも妙なものになってしまった。それを口にしたとしても、彼女たちには理解できないだろうから何も言わない。
――これから先、誰とつき合っても直哉と重ねてしまうの?
その不安から、わたしは逃れることはできそうになかった。
けれど、夢中になっていた、と思っていただけなのかもしれない。わたしの気持ちは彼には届いていないみたいだった。
別れを切り出されたのは、町中にジングルベルが鳴り始める頃だった。
今までは家族と過ごしていたから、初めて彼氏と過ごすクリスマスになるはずだった。贅沢はできないけれど、ケーキを買って、チキンを用意しよう。そう計画して、彼に手編みのマフラーを送るつもりだった。
今までお揃いのものなんてなかったから、お揃いのものが欲しかった。だから練習のつもりで、自分用にマフラーを編んでいた。自分用が先に仕上がったその日――明日からは洋司君用を編むつもりだったのに。
わたしはいつものように、彼の部屋を訪れていた。何度も訪れたマンションは、その日もいつもと変わりないように見えていた。
「別れよう」
「……どうして?」
「だって、静、俺のことなんて見てないだろう?」
「……どういうこと……」
洋治君の言葉はとても静かで、わたしに別れを告げたばかりだとは思えなかった。わたしに怒っている様子なんてなかったから。
「わかるんだよ、静のことが好きだから。俺と一緒にいても、誰か他の人のことを考えてる」
「……そんなことないっ!」
わたしは叫んだけれど、洋治君は薄く笑うだけだった。
その微笑みを見て、わたしは凍り付いてしまった――見覚えがある。
「最初はそれでもいいと思っていた。けど、どんどんつらくなってきたんだ」
「……最初のうち……」
「静は可愛いし、甘えてくれるし、一緒にいて楽しかった」
「わ……わたしだって!」
洋治君と一緒にいたら楽しかった。甘えることに何の罪悪感を持たなくてすんだ。堂々と街を一緒に歩いて、お金がないなりのデートをして。いつまでもこんな日が続くと思っていたのに。
「わたしだって、楽しかった……よ!」
必死に言うけれど、洋治君の気持ちを変えることはできなかった。わたしも、いつまでもすがることもできなかった。
他の人のことを考えてる――その言葉を否定できなかった。今この瞬間、彼に言われるまで気づかなかったけれど、気がついてしまったから。
洋治君と直哉は似てた。そっくりだった。ぱっと見で二人を似ていると思う人はいないだろう。
背が高くて、髪も目も色素が薄い直哉と、染めない髪をナチュラルな形に揃えている洋治君と。直哉は背が高くて、洋治君は中背。直哉は細身で、洋治君はがっしりしている。
けれど、わたしを苦笑混じりに見るその表情はあまりにもそっくりで。だから、わたしは言葉を失ってしまう。
無意識のうちに、直哉にそっくりの人を選んでいた? 衝撃が身体を硬直させる。目から涙が溢れたけれど、それを拭うこともできなかった。
「……ごめんなさい……」
わたしはそれ以上、言うことができなかった。ぽろぽろと涙が落ちて、頬を濡らす。
「でも、わたし、……本当にあなたが好きだった」
精一杯の想いを、きっと彼は信じてくれないだろう。
わたしは静かに洋治君の部屋を後にした。
◆ ◆ ◆
別れたことを誰にも言うつもりはなかったけれど、有紀ちゃんにはすぐばれた。寮で食事をする回数が急に増えたから、ばればれと言えばばればれだ。
トレーに乗せた夕食をわたしの前に置いて、有紀ちゃんは同じテーブルに座った。もう皆食べ終えてしまっていて、食堂には人がぱらぱらとしか残っていない。
「別れたんだって?」
「……ふられちゃった」
ふられた、というのが正しい表現なのかはわからない。彼の方が最初からわたしに好かれていなかった、と感じていたかもしれない。
彼からしたらわたしをふったというよりは、あるべき形に戻っただけというのが正しい見解かもしれない。
「そっかー、この時期にそれはキツイよねー」
「あはは、そうだね」
有紀ちゃんはあっけらかんと言ったけれど、わたしは苦笑いで返すことしかできなかった。心の傷は深くて、せっかく編んだマフラーも使う気になれなくて、全部ほどいてしまったくらいだ。
「それで、クリスマスイブはどうするの? 一人寂しく過ごす?」
「そうすることになりそう」
有紀ちゃんに聞かれて、わたしは肩をすくめた。
「わたしと出かける?」
「女二人で?」
「それじゃ、何か問題でも?」
普段だったら悪くないと思うけれど、町中にカップルが溢れているその時期にはちょっと寂しい。
「おとなしく寮にいようかな」
「えー、テレビもスペシャルばっかりでつまらないのに?」
「DVD借りるし」
「じゃあ早く借りに行かないと、いいの全部借りられちゃうよ?」
それから有紀ちゃんは首をかしげて考え込む。
「寮のご飯ってその日何だっけ?」
「いつもと同じでしょ。ご飯にお味噌汁に……」
寮の夕食は、前もってメニューが決められている。毎月月末になるとその翌月のメニューが張り出されるのだ。
クリスマスだから、と言って特別なメニューが出るわけでもない。二人して食堂に張り出されたメニューを見てそれから顔を見合わせた。
「ほら、いつも通り」
鯖の味噌煮だったり小鉢だったりといつも通りのメニューだ。
「ねえ、こうしない?」
有紀ちゃんが提案する。
「その日は、食堂じゃなくて部屋でご飯食べるの」
「何を?」
「『花谷』でテイクアウトできるの知ってた?」
有紀ちゃんが口にしたのは、大学の近くにあるイタリア料理の店だった。
学生が気軽に通うにはちょっと高いけれど、誕生日とか特別な時に使うことが多い。わたしも一回だけ連れて行ってもらったことがある。
テイクアウトができるのは知らなかった。
「花谷の料理をテイクアウトしてきて、DVD見ながら食べようよ。ちょっと贅沢だけど、たまにはいいでしょ」
その提案は、わたしを一人にしないための有紀ちゃんの思いやりだった。だって、有紀ちゃんにはつきあっている人がいたはずだ。
「彼氏は?」
「その日はバイト……ほら、彼のバイト先……」
「あ、……そっか」
有紀ちゃんの彼氏はフライドチキンがメインのファーストフードでアルバイトしている。クリスマスの時期は、一番忙しい時期だ。休めるはずなんてない。
「皆朝から晩までお店にいないといけないんだって。閉店時間も延長」
「うわーお」
有紀ちゃんが軽い口調で言うから、同じような口調で返してみた。
「まさか、バイト休めってわけにもいかないし、わたしも一日暇ってわけ」
「……そうねー」
「他にも一人でいる子、誘ってみる?」
「そうする?」
「そうしようか」
一人でいるより、大人数で過ごした方が気が紛れる。ありがたく有紀ちゃんの提案を受け入れることにした。
クリスマスイブは、皆で寮のご飯は断って有紀ちゃんの部屋に集まった。
六畳の部屋に集まったのは五人。ベッドや机のある部屋に五人も集まるとぱんぱんで、二人はベッドの上、三人は床の上だ。
DVDは三日前に借りてあったから、アクション物を選んで勝手に流す。時々ちらちら画面に目をやるだけで、話の筋はなんとなくわかる。
「えー、静ちゃんふられちゃったの?」
「ひっどーい!」
口々に彼女たちは言うけれど、わたしは「そんなことないよ」と静かに返すにとどめておいた。
わたしと直哉の歪な関係が原因で洋司君との付き合いも妙なものになってしまった。それを口にしたとしても、彼女たちには理解できないだろうから何も言わない。
――これから先、誰とつき合っても直哉と重ねてしまうの?
その不安から、わたしは逃れることはできそうになかった。