再会と過ち
直哉と久しぶりに会ったのは、正月になってからだった。
あのまま洋治君と付き合っていれば、実家に帰ることもなかったかもしれない。彼はこちらに残ってアルバイトをすると言っていたし。
「彼氏とかできたのか?」
去年が桑原家だったから、今年の年末年始は我が家に集まることになっていた。
逃げたくても逃げようもなくて、わたしも紅白を見終わるまでリビングに残っていた。どうせ隣なんだから帰ればよさそうなものなのに、伯父さんも伯母さんも隣室に敷いた布団で寝ていて、うちの親もなぜかそこに布団を敷いて四人で寝ている。
こんなに仲がいいなんて、ちょっと普通じゃない。
結も眠いと部屋に言って行ってしまって、リビングに残っているのはわたしと直哉だけだった。結が部屋に引き上げるタイミングでわたしも行けばよかったのに、なぜ残ってしまったのかわからない。ちがう、わからないふりをしていただけだ。
大学生になって一年過ごして、少し大人になった。今なら、前とは違う目で見てもらえるかもしれないと期待していなかったら嘘になる。
「できたよ?」
そう言って、相手の反応をうかがう。直哉相手の稚拙な駆け引き。直哉相手に通じるはずなんてないのに。
「そっか」
興味なさそうに直哉は天井を見上げる。駆け引きが通じないとわかっていたのに、やっぱり傷ついた。
「コーヒー、飲みたいな。直哉も飲む?」
「……眠れなくなるぞ」
「この時間だもん。一緒じゃない」
壁にかかる時計を見上げれば午前三時を回ったところで、このまま朝まで起きていても仮眠をとっても大差なさそうだった。
「明日――いや、今日か。お年玉もらってから、寝る」
「なんだよ、お前まだもらうつもりでいたのか?」
「未成年のうちはくれるって、お父さん言ってたもん」
大人になったと思ってもらえないなら、子どもに戻るだけ。わざと幼い口調を作る。
「ひっでー。うちの親なんて高校卒業と同時にやめたんだぜ? そういや、叔父さんは大学卒業までくれてたなー」
コーヒーを彼が飲むのか飲まないのかわからなかったけれど、コーヒーメーカーのところに行って二人分のコーヒーをいれる。
あまったら、二杯飲めばいいや。このまま徹夜するつもりだし。
「あ、俺ブラックね」
「何だ、やっぱり飲むんじゃない」
「二人分いれてるんだろ? もらわなきゃ悪いって思ったんだよ」
なにそれ、とか何とか言いながら二人分のコーヒーをいれてテーブルに運ぶ。やっぱり言ってしまう。
「別れたよ」
彼の前にコーヒーカップを置きながらそう言うと、「で?」と言うかのように眉をあげてみせた。
「彼氏ね、できたんだけどふられちゃった」
「何で?」
「……わかってたら、今日こんなとこにいないよ。次の彼氏探しに行ってる」
上げた笑い声は、我ながら神経質だったと思う。
それ以上に――媚の色が見え隠れしてしまった。抱きしめてほしい、キスしてほしい、温めてほしい。だって、直哉のことを忘れられなくしたのは直哉なんだから、責任があるでしょう?
吐き気がするほど身勝手だ。だけど、わたしは温もりを必要としていた。直哉はそれをわかっていたのだと思う。
テーブル越しに、彼が身を乗り出す。探る気配なんて全くなかった。勢いよく顔がぶつかってきたと思ったら、唇を貪られる。
「あっ……ちょ、だめっ……!」
隣室には伯父さんと伯母さんがいる。けれど、直哉はそんなことおかまいなしで、傍若無人な手が、着ていた白のセーターを捲り上げる。
「とっ……とな……りっ……!」
「知るか。誘ったのはお前だろ」
隣には皆がいるのに。あっという間に中に着ていたキャミソールの中まで手が侵入してきて、柔らかく乳房を掴まれた。
「いっ……や、ぁ……!」
テーブルに両腕をついて身体を支えようとする。ブラジャーのカップの上から、硬くなっている場所を探し当てられて、指先で引っかかれる。
それだけで、甘ったるい声が口をついて出てきてしまって、身体を支えているはずの腕がぶるぶると震えた。
「お前なー。もうちょっと我慢とかできないわけ?」
堪え性のないわたしをあざ笑うかのように直哉の声が降ってくる。いたたまれなくなって俯くと、耳元に唇を寄せられた。
「午後二時。茗田駅、いつもの改札」
最後にその場所使ったのは一年以上前のことなのに、当たり前のように彼は口にする。
「来るよな?」
必要のない念押し。わたしがこくりと頷くと、彼はコーヒーを飲みほして立ち上がった。
「じゃあ俺帰るわ。遅れるなよ?」
残ったコーヒーカップを片付けてから、わたしは自分の部屋へと戻る。どう言い訳をして家を出ようかと考えながら。
◆ ◆ ◆
家を出るのはそれほど難しい話ではなかった。
正月早々出かけることに親はちょっと不満そうだったけれど、どうせ家にいたっておせち料理をつついてだらだらしているだけなのだ。
きっと他の家なら親戚の人が来たりするのだろうけれど、わたしの家ではもう十年以上こうやって正月を過ごしている。
お父さんと伯父さんは相変わらず酔っ払っているし、お母さんと伯母さんはこの日のために用意しておいたおいしいお菓子をつまみながらおしゃべりしている。
ほぼ毎日顔を合わせているのに、それだけ話すことがあるってある意味すごい。
結はおしゃべりに加わったり、自分の部屋に行ってゲームしたりやっぱり好き勝手に過ごしていた。
明日と明後日はどうするだろう。箱根駅伝見ながらやっぱりだらだらしているような気もするけれど。
「ちょっと本を買ってくる」
結局うまい言い訳が見つからなくて、そう言って家を出た。
結にはゲームのソフトでも買って帰ろうかな。駅ビルの中の中古ショップは、元旦から休まずに営業しているはずだし。
階段を駆け下りた時には発車ベルが鳴り響いていた。駆け込み乗車した車内はほぼ空っぽ。正月早々出かける人なんていないんだろうなぁ。
改札を出た時には、直哉はもう待っていた。
灰色のコートに、黒いマフラー。ただ立っているだけなのに、その姿を見ただけでわたしは自分の身体が反応するのがわかった。
洋治君の言っていたことは、間違ってない。わたしは、忘れていなかった――この人のことを。
それが執着なのか恋なのか肉欲なのかなんて、十九のわたしにはわかるはずもなかった。ただ、目の前にいる人の体温をもっとそばで感じたい。そのことしか頭にはなかった。
「ねえ、直哉兄さん」
「ん?」
「……その、彼女、とかは……?」
わたしの心に残る最後の罪悪感がその言葉を口にさせる。わたしにそれを口にする権利なんてないってわかっているけれど。
「いる。今は実家に帰ってる」
「……そっか」
その人は、去年見かけたあの人と同じ人なのかな。そろそろ結婚の話なんて出てたりするのかな。
その疑問は口にすることができなかった。結婚するなんて聞かされたら、目の前が真っ暗になる。
「……ねえ。彼女いるのにいいの?」
「何が?」
「だって、ほら……」
そう口にした時には、ラブホテルの入口をくぐった後だった。
部屋を選ぶためのパネルが並んでいる。内装なんて気にせずに、直哉は開いている部屋のパネルを押す。
「いいも悪いも誘ったのはお前だろうが」
「……そうなんだけど」
言われてみればその通りでしかないのだけれど、やっぱり彼女には悪い気がする。
「俺は据え膳は遠慮しねーの」
「……最悪」
ちりちりと胸が焼ける。何に腹をたてているのか、自分でもわからなかった。
最悪なのはわたしの方だ。最悪な自分を忘れるために、わたしは快楽に溺れた。
あのまま洋治君と付き合っていれば、実家に帰ることもなかったかもしれない。彼はこちらに残ってアルバイトをすると言っていたし。
「彼氏とかできたのか?」
去年が桑原家だったから、今年の年末年始は我が家に集まることになっていた。
逃げたくても逃げようもなくて、わたしも紅白を見終わるまでリビングに残っていた。どうせ隣なんだから帰ればよさそうなものなのに、伯父さんも伯母さんも隣室に敷いた布団で寝ていて、うちの親もなぜかそこに布団を敷いて四人で寝ている。
こんなに仲がいいなんて、ちょっと普通じゃない。
結も眠いと部屋に言って行ってしまって、リビングに残っているのはわたしと直哉だけだった。結が部屋に引き上げるタイミングでわたしも行けばよかったのに、なぜ残ってしまったのかわからない。ちがう、わからないふりをしていただけだ。
大学生になって一年過ごして、少し大人になった。今なら、前とは違う目で見てもらえるかもしれないと期待していなかったら嘘になる。
「できたよ?」
そう言って、相手の反応をうかがう。直哉相手の稚拙な駆け引き。直哉相手に通じるはずなんてないのに。
「そっか」
興味なさそうに直哉は天井を見上げる。駆け引きが通じないとわかっていたのに、やっぱり傷ついた。
「コーヒー、飲みたいな。直哉も飲む?」
「……眠れなくなるぞ」
「この時間だもん。一緒じゃない」
壁にかかる時計を見上げれば午前三時を回ったところで、このまま朝まで起きていても仮眠をとっても大差なさそうだった。
「明日――いや、今日か。お年玉もらってから、寝る」
「なんだよ、お前まだもらうつもりでいたのか?」
「未成年のうちはくれるって、お父さん言ってたもん」
大人になったと思ってもらえないなら、子どもに戻るだけ。わざと幼い口調を作る。
「ひっでー。うちの親なんて高校卒業と同時にやめたんだぜ? そういや、叔父さんは大学卒業までくれてたなー」
コーヒーを彼が飲むのか飲まないのかわからなかったけれど、コーヒーメーカーのところに行って二人分のコーヒーをいれる。
あまったら、二杯飲めばいいや。このまま徹夜するつもりだし。
「あ、俺ブラックね」
「何だ、やっぱり飲むんじゃない」
「二人分いれてるんだろ? もらわなきゃ悪いって思ったんだよ」
なにそれ、とか何とか言いながら二人分のコーヒーをいれてテーブルに運ぶ。やっぱり言ってしまう。
「別れたよ」
彼の前にコーヒーカップを置きながらそう言うと、「で?」と言うかのように眉をあげてみせた。
「彼氏ね、できたんだけどふられちゃった」
「何で?」
「……わかってたら、今日こんなとこにいないよ。次の彼氏探しに行ってる」
上げた笑い声は、我ながら神経質だったと思う。
それ以上に――媚の色が見え隠れしてしまった。抱きしめてほしい、キスしてほしい、温めてほしい。だって、直哉のことを忘れられなくしたのは直哉なんだから、責任があるでしょう?
吐き気がするほど身勝手だ。だけど、わたしは温もりを必要としていた。直哉はそれをわかっていたのだと思う。
テーブル越しに、彼が身を乗り出す。探る気配なんて全くなかった。勢いよく顔がぶつかってきたと思ったら、唇を貪られる。
「あっ……ちょ、だめっ……!」
隣室には伯父さんと伯母さんがいる。けれど、直哉はそんなことおかまいなしで、傍若無人な手が、着ていた白のセーターを捲り上げる。
「とっ……とな……りっ……!」
「知るか。誘ったのはお前だろ」
隣には皆がいるのに。あっという間に中に着ていたキャミソールの中まで手が侵入してきて、柔らかく乳房を掴まれた。
「いっ……や、ぁ……!」
テーブルに両腕をついて身体を支えようとする。ブラジャーのカップの上から、硬くなっている場所を探し当てられて、指先で引っかかれる。
それだけで、甘ったるい声が口をついて出てきてしまって、身体を支えているはずの腕がぶるぶると震えた。
「お前なー。もうちょっと我慢とかできないわけ?」
堪え性のないわたしをあざ笑うかのように直哉の声が降ってくる。いたたまれなくなって俯くと、耳元に唇を寄せられた。
「午後二時。茗田駅、いつもの改札」
最後にその場所使ったのは一年以上前のことなのに、当たり前のように彼は口にする。
「来るよな?」
必要のない念押し。わたしがこくりと頷くと、彼はコーヒーを飲みほして立ち上がった。
「じゃあ俺帰るわ。遅れるなよ?」
残ったコーヒーカップを片付けてから、わたしは自分の部屋へと戻る。どう言い訳をして家を出ようかと考えながら。
◆ ◆ ◆
家を出るのはそれほど難しい話ではなかった。
正月早々出かけることに親はちょっと不満そうだったけれど、どうせ家にいたっておせち料理をつついてだらだらしているだけなのだ。
きっと他の家なら親戚の人が来たりするのだろうけれど、わたしの家ではもう十年以上こうやって正月を過ごしている。
お父さんと伯父さんは相変わらず酔っ払っているし、お母さんと伯母さんはこの日のために用意しておいたおいしいお菓子をつまみながらおしゃべりしている。
ほぼ毎日顔を合わせているのに、それだけ話すことがあるってある意味すごい。
結はおしゃべりに加わったり、自分の部屋に行ってゲームしたりやっぱり好き勝手に過ごしていた。
明日と明後日はどうするだろう。箱根駅伝見ながらやっぱりだらだらしているような気もするけれど。
「ちょっと本を買ってくる」
結局うまい言い訳が見つからなくて、そう言って家を出た。
結にはゲームのソフトでも買って帰ろうかな。駅ビルの中の中古ショップは、元旦から休まずに営業しているはずだし。
階段を駆け下りた時には発車ベルが鳴り響いていた。駆け込み乗車した車内はほぼ空っぽ。正月早々出かける人なんていないんだろうなぁ。
改札を出た時には、直哉はもう待っていた。
灰色のコートに、黒いマフラー。ただ立っているだけなのに、その姿を見ただけでわたしは自分の身体が反応するのがわかった。
洋治君の言っていたことは、間違ってない。わたしは、忘れていなかった――この人のことを。
それが執着なのか恋なのか肉欲なのかなんて、十九のわたしにはわかるはずもなかった。ただ、目の前にいる人の体温をもっとそばで感じたい。そのことしか頭にはなかった。
「ねえ、直哉兄さん」
「ん?」
「……その、彼女、とかは……?」
わたしの心に残る最後の罪悪感がその言葉を口にさせる。わたしにそれを口にする権利なんてないってわかっているけれど。
「いる。今は実家に帰ってる」
「……そっか」
その人は、去年見かけたあの人と同じ人なのかな。そろそろ結婚の話なんて出てたりするのかな。
その疑問は口にすることができなかった。結婚するなんて聞かされたら、目の前が真っ暗になる。
「……ねえ。彼女いるのにいいの?」
「何が?」
「だって、ほら……」
そう口にした時には、ラブホテルの入口をくぐった後だった。
部屋を選ぶためのパネルが並んでいる。内装なんて気にせずに、直哉は開いている部屋のパネルを押す。
「いいも悪いも誘ったのはお前だろうが」
「……そうなんだけど」
言われてみればその通りでしかないのだけれど、やっぱり彼女には悪い気がする。
「俺は据え膳は遠慮しねーの」
「……最悪」
ちりちりと胸が焼ける。何に腹をたてているのか、自分でもわからなかった。
最悪なのはわたしの方だ。最悪な自分を忘れるために、わたしは快楽に溺れた。